白鳥神社 宮崎県 - 神社ファン

有名度

前頭

白鳥神社

しらとりじんじゃ

宮崎県えびの市大字末永1479番

宮崎県えびの市大字末永1479番

拝殿

Ray_go(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 仕事
  • 厄除
  • 勝負
白鳥神社には

「仕事系」「厄除・開運系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国土安寧 勝運 開運 五穀豊穣 商売繁盛

御祭神

日本武尊 やまとたけるのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

大鳥・白鳥系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

白鳥神社は宮崎県えびの市に鎮座する神社。御祭神は日本武尊の1柱をまつる。
社格は旧県社。
白鳥神社は白鳥山の北側山腹に鎮座し、古くは六所権現と称した。社伝によれば、村上天皇の応和年間または天暦年間、京都の僧・性空上人が日州霧島を訪れ、白鳥山頂の六観堂で修行していたという。
その折、一人の老翁が現れ、「我は日本武尊なり。来たりてこの山に住むこと久し。汝、我がために神社を設けよ」と告げると、たちまち白鳥となって飛び去ったと伝えられる。性空上人はその神託により社殿を創建し、聖観音を本地仏として祀るとともに、別当寺である満足寺を建立した。満足寺は白鳥山金剛乗院と号し、当初は天台宗であったが、応永年間に光尊阿闍梨が真言宗として再建した。
戦国時代には島津氏の崇敬を受け、天正4年(1576)9月には島津義久が参詣した。天正20年(1592)4月には社領30町が諸役免除となり、慶長6年(1601)から慶長10年(1605)にかけて島津義弘が社殿を造営し、神領200石を寄進した。その後も島津氏による祈祷や奉納が続いた。
明治維新後、社名は白鳥神社となり、明治3年(1870)には別当寺であった満足寺が廃寺となった。明治38年(1905)に県社へ列格し、明治40年(1907)には神饌幣帛料供進神社に指定された。
本殿は流破風造、拝殿は入母屋造で、本殿には江戸時代末期の竜の彫刻や雲龍巻柱、唐獅子牡丹などの精巧な彫刻が施されている。その他の建造物は昭和10年(1935)に再建されたもので、社殿を含む諸建造物は昭和45年(1970)2月にえびの市指定有形文化財となった。
境内には樹齢約500年の御神木をはじめ、10数本の古木が立ち並ぶ。一の鳥居には神仏習合時代の名残を伝える阿吽の仁王像が残り、日本武尊の妃・弟橘姫命を祀る水分神社や性空上人の木像・石像、日本武尊像、御神水を用いた手水舎などがある。例祭は9月23日に斎行され、このほか3月21日の例祭や6月最終日曜日の夏越大祓などの祭事が執り行われる。
  • 県社
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神社詳細

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%B3%A5%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E3%81%88%E3%81%B3%E3%81%AE%E5%B8%82)