甲斐神社 熊本県 - 神社ファン

有名度

前頭

甲斐神社

かいじんじゃ

熊本県上益城郡嘉島町上六嘉2243

熊本県上益城郡嘉島町上六嘉2243

鳥居

Simasakon(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

甲斐神社以外にも 足手荒神さん とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 健康
甲斐神社には

「健康系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

手足の守り神

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

甲斐神社は熊本県上益城郡嘉島町に鎮座する神社。御祭神は甲斐相模守親秀入道宗立公、甲斐民部大輔親直入道宗運公の2柱をまつる。
甲斐神社の由緒は、戦国時代末期に起きた肥後国人一揆の伝承と結び付いている。
天正15年(1587)、豊臣秀吉による九州平定後、肥後国に入った佐々成政は太閤検地を進めた。これに対して肥後の国衆や民衆が反発し、御船城主の甲斐宗立公(甲斐親秀)、菊池武国、隈部親永らが一揆を起こした。一揆勢は佐々成政の居城であった隈本城を攻めたが、豊臣方の軍勢が九州や四国から到着すると戦況は変わり、一揆は鎮圧された。
甲斐宗立公は戦いの中で手足に深い傷を負い、現在の嘉島町上六嘉の地まで逃れたと伝えられる。上六嘉の人々は宗立公をかくまい、手厚く介抱した。宗立公は死後もこの地にとどまり、人々を守護し、手足に苦しむ者を救うと語ったと伝えられており、その霊を祀るために建てられた祠が甲斐神社の起こりとされている。
宗立公の最期については複数の伝承が残されている。毛利勝信の兵に捕らえられて討たれたとする説、佐々成政方の家臣に追われて六嘉村の地蔵堂で自刃したとする説、六嘉村の寺へ逃れたとする伝承などがある。甲斐神社では、現在の鎮座地周辺で里人の介抱を受けた後に亡くなったと伝えている。
宗立公に関する伝承は江戸時代の地誌にも記録された。明和9年(1772)成立の『肥後国志』には、宗立公が上六箇村へ逃れて亡くなったことが記され、墓所は不明とされている。明治17年(1884)の『肥後国志』補には、六箇村に宗立公の霊を祀る足手荒神の祠があることが記録された。さらに明治41年(1908)3月27日には井上円了が当地を訪れ、小学校前に足手荒神の小祠があったことを日記に残している。大正3年(1914)刊行の『上益城郡旧鯰郷々土誌』には、甲斐神社の名が見える。
現在の甲斐神社は足手荒神として広く信仰を集めている。手足の病気平癒や無病息災を願う参拝者は、手型や足型の木板に名前や願い事を書いて奉納する。境内や社殿には、手型や足型のほか、ギプス、コルセット、松葉杖なども奉納されている。
例祭は毎年2月15日に行われる。この日の大祭には、手足の健康や病気平癒を願う参拝者が九州各地から訪れ、境内は多くの人で賑わう。月次祭は毎月1日と15日に執り行われ、現在も地域の人々や崇敬者による信仰が受け継がれている。
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神社詳細

公式URL

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出典
公式サイト
http://ashitekoujin.com/index.html
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%96%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E5%98%89%E5%B3%B6%E7%94%BA)