甲斐親英
かいちかひで
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
安土桃山 [~1587年]
甲斐親英とは?
甲斐親英(1540?-1587)は戦国~安土桃山時代の武士。甲斐親直の子。肥後国(熊本県)の甲斐家に生まれる。謀反の疑いで親英の弟3人を処断した苛烈な父・親直を排そうと企てるが失敗。この時は、家臣が嫡男である親英の助命を願い出たため永らえている。親直の死後に主家・阿蘇家の筆頭家老となるが、「守りに徹せよ」との親英の遺言に背き島津氏を攻撃。島津氏に阿蘇氏を攻める口実を与え、これをきっかけに阿蘇氏は滅亡する。その後、豊臣秀吉の九州征伐により肥後国領主となった佐々成政対して肥後国人一揆を起こす。一時は隈本城を落城寸前まで追い込むが、秀吉の送った討伐軍により鎮圧。親英は逃亡するが重傷を負い命を落としたとされる。親英の死亡により甲斐家は滅ぶこととなった。 親英は甲斐神社(熊本県上益城郡)で祭神としてまつられている。ご利益は病気平癒、無病息災。伝承では、一揆に失敗し手足に重傷を負った親英が、落ち延びた地の住民の手厚い看護に感銘を受け、死後に手足の守り神になると言い残したとされる。それ以降、手足を使う人々から足手荒神として信仰を集めている。また甲斐神社には親直も祭神としてまつられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
甲斐親秀かいちかひで
その他
祀られている主な神社
甲斐神社
(熊本県嘉島町上六嘉2243)
