八代宮 - 神社ファン

有名度

前頭

八代宮

やつしろぐう

熊本県八代市松江城町7−34

熊本県八代市松江城町7−34

鳥居と拝殿

Simasakon(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

かんたんご利益

  • 家庭
  • 勝負
八代宮には

「家庭系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

家内安全 生活全般 武運

御祭神

主祭神

懐良親王 かねながしんのう

配祀

良成親王 りょうせいしんのう

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」

です。
他に 「不明(1柱)」 も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

八代宮は熊本県八代市に鎮座する神社。御祭神は懐良親王、良成親王の2柱をまつる。
社格は旧官幣中社で、現在は別表神社。
懐良親王は後醍醐天皇の皇子として生まれ、南北朝時代に征西大将軍となった。九州へ下向した後は、菊池氏や阿蘇氏をはじめとする南朝方の勢力とともに各地で活動し、正平16年(1361)には大宰府を攻略した。その後も九州各地で南朝方の戦いが続くなか、懐良親王は大宰府を離れ、のちに征西将軍職を良成親王へ譲った。懐良親王は弘和3年(1383)に亡くなり、現在は八代市妙見町に墓所が伝えられている。この懐良親王御墓は昭和38年(1963)4月20日に八代市指定史跡となった。
良成親王は後村上天皇の皇子であり、懐良親王の後を継いで九州の南朝方を率いた。征西府は菊池から宇土へ移り、その後は八代市高田にも置かれた。良成親王は元中9年(1392)に南北朝が合一するまで九州で活動を続けた。
明治時代に入ると、八代では懐良親王を祀る神社創建の機運が高まった。明治8年(1875)12月、八代町の住民が神社創建を請願し、明治13年(1880)8月3日には肥後国八代郡の八代城址に八代宮を創立して鎮祭することが命じられた。同時に官幣中社へ列格され、国家によって祭祀が行われる神社となった。
創建決定後、八代城址に社殿の造営が進められ、明治17年(1884)4月20日に鎮座祭が執り行われた。八代宮は懐良親王を主祭神として創建され、その後、明治19年(1886)11月10日に良成親王が配祀された。
八代宮は八代城本丸跡に鎮座している。境内は城跡の一角に位置し、現在も石垣や堀など八代城の遺構が残されている。社殿は城郭跡に建ち、江戸時代に八代の中心であった城の歴史とともに現在まで受け継がれている。
例祭は毎年8月3日に斎行される。この日は明治13年(1880)に八代宮の創立と官幣中社列格が命じられた日にあたる。
また、八代宮の周辺には懐良親王御墓が所在する。墓所内には大正5年(1916)に発見された懐良親王御自筆銘の宝篋印塔が伝えられており、御墓とともに八代市指定史跡となっている。南北朝時代の皇族ゆかりの史跡として現在も保存されている。
  • 別表神社
  • 官幣中社
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神社詳細

摂末社・境内社

境内社 霊社
八代市郡の戦没英霊三千八百六十六柱
職域に殉ぜられた英霊四十八柱

例祭

例祭 8月3日

文化財

八代城跡
国 史跡
文化財種別不明 平成26年3月18日指定

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BB%A3%E5%AE%AE
国指定文化財等データベース
https://kunishitei.bunka.go.jp
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年