懐良親王
かねよししんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング529位
- 皇族
鎌倉~南北朝 [1329年~1383年]
懐良親王とは?
懐良親王(1329-1383)は、南北朝時代の南朝征西将軍。後醍醐天皇の第7皇子。懐良は優秀な者の多い後醍醐天皇の皇子たちの中でも、ずば抜けて統率力と知略に長けていた。足利尊氏と後醍醐天皇が対立し南北朝時代が始まると、後醍醐天皇は南朝派を増やすため全国に皇子を派遣、懐良も九州へと派遣され、九州の諸勢力を味方につけるため奔走した。肥後の菊池武光とともに九州探題の一式範氏、豊前の大友氏泰、北九州の雄である少弐頼尚らを破る破竹の快進撃を見せ、1361年に九州の拠点である大宰府を制圧した。1369年に明の太祖から国書を携えた使者が来訪し、何度かやりとりをするうちに明は懐良を「日本国王」として「良懐」の名で冊封した。懐良は明からの高圧的な使者に対し「賀蘭山前に相逢うて、いささか以って博戯せん」と返したと伝わる。その後今川貞世に大宰府を追われるなどで懐良の勢力は後退し、九州は幕府に平定されたが、足利義満が日明貿易を開始する際には「良懐と国王の座を争っている北朝の臣下」と認識されてしまいなかなか相手にされず、新たに建文帝から冊封をうけ「日本国王」の位を受けるまでは「良懐」の名義を詐称し使いを送っていた。懐良は征西将軍の職を良成親王に譲り、筑後矢部で病気で死去したと伝えられている。 熊本県八代市にある八代宮、鹿児島県鹿児島市にある谷山神社が懐良親王を御祭神として祀っている。また、八代市には御墓もあり、市の指定文化財とされている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
征西将軍宮せいせいしょうぐんのみや
その他
祀られている主な神社
八代宮
(熊本県八代市松江城町7−34)
宮陣神社
(福岡県久留米市宮ノ陣五丁目12番1号)
八幡神社
(宮崎県西米良村大字村所12番)
銀鏡神社
(宮崎県西都市大字銀鏡492番)
谷山神社
(鹿児島県鹿児島市下福元町3786-3)
