良成親王
よしなりしんのう
- 歴史的人物
- 男神・男性

文屋将監(CC 表示 3.0)
祭神ランキング776位
- 皇族
南北朝~室町 [~1395年]
良成親王とは?
良成親王(?-?)は南北朝時代~室町時代初期にかけての人物。後村上天皇の子。南朝の皇族で、第六皇子ないし第七皇子であったとされる。ただし同年代史料には名が見えず、良成親王の実在を疑う説も少なくない。このため一般的には「後征西将軍宮」が良成親王に比定される。これによれば良成親王は1366年頃に九州征西府(大宰府)へ下向。親王宣下を受けた後、伊予国(現在の愛媛県)に派遣され、領国経営にあたったという。のち九州へ帰還、叔父の懐良親王から征西将軍職を譲り受けて九州南朝方の中心人物となった。1376年には菊池武朝に奉じられて肥前国(現在の佐賀県)に出陣。翌年の肥前蜷打の戦いでは大敗するが、今川軍との交戦を何度も繰り返し、ついには良成親王自ら陣頭に立って敵陣に突撃。今川軍を敗走させることに成功した。しかしこれは南朝方が勝利を収めた最後の大戦となり、南朝はここから急速に衰退していく。良成親王は南北朝合一まで生き残ったが、1395年頃に30代半ばで死去したと推測される。 熊本県八代市の八代宮は、この地で足利軍と戦った懐良親王(征西将軍宮)を主祭神とし、その跡を継いだ良成親王(後征西将軍宮)を配祀している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
後征西将軍宮のちのせいせいしょうぐんのみや
その他
