有名度
前頭松井神社
まついじんじゃ
熊本県八代市北の丸町2番18号
熊本県八代市北の丸町2番18号

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かんたんご利益
御祭神
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
松井神社は熊本県八代市に鎮座する神社。御祭神は松井康之公、松井興長公の2柱をまつる。
社格は旧郷社。
松井康之公は戦国時代から江戸時代初期にかけて細川藤孝、細川忠興に仕えた武将である。康之公の子である松井興長公も細川家に仕え、松井家は代々細川家の重臣として続いた。
寛永9年(1632)、細川家が肥後熊本藩主となり、八代城には細川忠興(三斎)が入った。忠興は北の丸で晩年を過ごし、寛永17年(1640)7月には数寄屋を築いて庭園を整備した。正保3年(1646)には松井興長公が八代城を預かり、以後松井家は代々八代城主格として八代を治めた。松井家は3万石を領する熊本藩筆頭家老家であり、山城国にも知行地を有していた。
明治時代になると松井家ゆかりの人々によって康之公と興長公を祀る神社創建が進められ、明治14年(1881)に八代城跡北の丸に松井神社が創建された。
境内には八代城北の丸の石垣や水堀の一部が残り、細川忠興の時代に整備された庭園も伝わる。茶庭は八代市指定史跡に指定されている。
また、境内にある臥龍梅は熊本県指定天然記念物で、昭和57年(1982)8月28日に指定された。樹齢は約400年とされ、毎年2月中旬頃には淡紅白の花を咲かせる。臥龍梅のそばには臥龍梅碑が建ち、明治17年(1884)3月に松井家12代当主松井敏之の意向により、八代の儒学者・名和童山が撰文した碑文が刻まれている。
社格は旧郷社。
松井康之公は戦国時代から江戸時代初期にかけて細川藤孝、細川忠興に仕えた武将である。康之公の子である松井興長公も細川家に仕え、松井家は代々細川家の重臣として続いた。
寛永9年(1632)、細川家が肥後熊本藩主となり、八代城には細川忠興(三斎)が入った。忠興は北の丸で晩年を過ごし、寛永17年(1640)7月には数寄屋を築いて庭園を整備した。正保3年(1646)には松井興長公が八代城を預かり、以後松井家は代々八代城主格として八代を治めた。松井家は3万石を領する熊本藩筆頭家老家であり、山城国にも知行地を有していた。
明治時代になると松井家ゆかりの人々によって康之公と興長公を祀る神社創建が進められ、明治14年(1881)に八代城跡北の丸に松井神社が創建された。
境内には八代城北の丸の石垣や水堀の一部が残り、細川忠興の時代に整備された庭園も伝わる。茶庭は八代市指定史跡に指定されている。
また、境内にある臥龍梅は熊本県指定天然記念物で、昭和57年(1982)8月28日に指定された。樹齢は約400年とされ、毎年2月中旬頃には淡紅白の花を咲かせる。臥龍梅のそばには臥龍梅碑が建ち、明治17年(1884)3月に松井家12代当主松井敏之の意向により、八代の儒学者・名和童山が撰文した碑文が刻まれている。
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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%BA%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE
