松井康之 神社の神様 - 神社ファン

松井康之

まついやすゆき

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
松井康之

松井文庫所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 武人

戦国~江戸 [1550年~1612年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 松井康之とは?

    松井康之(1550-1612)は戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。松井山城守正之の次男。茶の湯は千利休の高弟のひとりと伝えられている。第13代将軍・足利義輝に仕えていたが、永禄の変で義輝と兄・勝之が暗殺される。幕臣の細川藤孝とともに織田信長の家臣となった。1581年に羽柴秀吉が因幡鳥取城攻めを行った際も水軍衆を率いて参戦し、毛利水軍を撃退し伯耆・泊城を攻めるなど活躍。藤孝は丹後国の領主となり、康之は丹後松倉城を任せられた。本能寺の変以降は出家した藤孝の子・忠興に仕え、丹後久美城を与えられた。小牧・長久手の戦いをはじめ、豊臣秀吉に天下人が変わる中従軍し、文禄の役では長男・松井与八郎を失うも、秀吉から認められた。また、忠興が謀反の疑いをかけられた際は疑いを晴らすため奔走し、不問となっている。感謝した忠興は、娘を康之の息子の妻とした。1600年の関ヶ原の戦いで石田三成ら西軍は、康之を離反させようと書状を送ったが、康之は開城に応じることはなかった。攻めてきた大友吉統の攻撃を防ぎ、救援に来た黒田如水と合流、豊後石垣原合戦では老齢ながら首級をあげるなど活躍し、勝利した。戦後は木付城を預けられたが病に臥せり、1612年に死去。享年63。 熊本県八代市北の丸町にある松井神社は、主祭神として松井康之を祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。