松井興長
まついおきなが
- 歴史的人物
- 男神・男性

松井文庫所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 家老(熊本藩)
安土桃山~江戸 [1582年~1661年]
松井興長とは?
松井興長(1582-1661)は安土桃山時代から江戸時代にかけての人物。 松井康之を父に持ち、細川家家老にして熊本藩八代城主を務めた。次男であったが、長男が朝鮮出兵で戦死したため跡継ぎとなる。父と共に細川家に仕え、関ヶ原の戦いでは徳川方として戦った。しかし、岐阜城攻めで負傷したため関ヶ原での本戦には参戦しなかったという。また、この後に細川家から長岡姓を賜り、長岡佐渡と称した。宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の折に細川家の家老として登場する長岡佐渡は、興長のことである。1632年細川氏が肥後熊本藩に国替になると、興長には玉名、合志郡の内に3万石が与えられた。島原の乱では派兵の手配や幕府、他藩との交渉に奔走するなど、武力だけでなく政治力でも細川家を支え続けた。細川忠興が死去すると、居城であった八代城を預かることになる。以後、八代城は一国一城令の例外とされて存続し、代々松井家が城主を務めるようになった。細川家に仕えた年数は60年にもおよび、興長は筆頭家老として常に藩主の傍にあった。その中では藩主をいさめることもあり、特に浪費癖がひどかったという細川綱利に対しては長さ5メートルにおよぶ直筆の諫言状を記しており、これは現在も保管されている。 興長は松井神社(熊本県八代市)に祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
長岡佐渡守ながおかさどのかみ
その他
