有名度
前頭長崎県護国神社
ながさきけんごこくじんじゃ
長崎県長崎市城栄町41番67号
長崎県長崎市城栄町41番67号

na_sh(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
かんたんご利益
御祭神
明治維新から太平洋戦争までの国難に殉じた長崎県関係の護国の英霊約6万柱 めいじいしんからたいへいようせんそうまでのこくなんにじゅんじたながさきけんかんけいのごこくのえいれいやく60000はしら
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
長崎県護国神社は長崎県長崎市に鎮座する神社。御祭神は明治維新から太平洋戦争までの国難に殉じた長崎県関係の護国の英霊約6万柱をまつる。
社格は別表神社。
長崎県護国神社の起源は、明治2年(1869年)12月に長崎市梅ヶ崎に創建された梅ヶ崎招魂社にある。梅ヶ崎招魂社は戊辰戦争で戦死した藩士43柱を祀るために建立され、明治8年(1875年)5月には官祭梅ヶ崎招魂社となった。
また、明治7年(1874年)には長崎市西小島に佐古招魂社が創建され、台湾の役の戦死者536柱を祀った。その後も戦没者の合祀が続けられた。
昭和14年(1939年)3月、招魂社制度の改正により、梅ヶ崎招魂社は梅ヶ崎護国神社、佐古招魂社は佐古護国神社へと改称された。さらに昭和17年(1942年)3月10日、両社は合併して長崎県護国神社となり、内務大臣指定護国神社に指定された。現在地である城山の高台に社殿が造営され、昭和19年(1944年)10月に遷座した。
しかし、昭和20年(1945年)8月9日の長崎原爆により社殿をはじめ境内の建造物はすべて焼失した。御霊代は長与町の岩渕神社、続いて長崎市の大崎神社へ奉遷され、その後は旧佐古招魂社跡の梅ヶ崎天満宮が仮宮となった。
戦後の復興が進められ、昭和38年(1963年)10月25日に社殿が再建された。現在の社殿はこのときの再建によるものである。昭和41年(1966年)には神社本庁の別表神社に加列され、現在に至っている。
境内では毎年4月22日に春季例大祭、10月26日に秋季例大祭が執り行われ、長崎県ゆかりの戦没者を祀る神社として祭祀が続けられている。
社格は別表神社。
長崎県護国神社の起源は、明治2年(1869年)12月に長崎市梅ヶ崎に創建された梅ヶ崎招魂社にある。梅ヶ崎招魂社は戊辰戦争で戦死した藩士43柱を祀るために建立され、明治8年(1875年)5月には官祭梅ヶ崎招魂社となった。
また、明治7年(1874年)には長崎市西小島に佐古招魂社が創建され、台湾の役の戦死者536柱を祀った。その後も戦没者の合祀が続けられた。
昭和14年(1939年)3月、招魂社制度の改正により、梅ヶ崎招魂社は梅ヶ崎護国神社、佐古招魂社は佐古護国神社へと改称された。さらに昭和17年(1942年)3月10日、両社は合併して長崎県護国神社となり、内務大臣指定護国神社に指定された。現在地である城山の高台に社殿が造営され、昭和19年(1944年)10月に遷座した。
しかし、昭和20年(1945年)8月9日の長崎原爆により社殿をはじめ境内の建造物はすべて焼失した。御霊代は長与町の岩渕神社、続いて長崎市の大崎神社へ奉遷され、その後は旧佐古招魂社跡の梅ヶ崎天満宮が仮宮となった。
戦後の復興が進められ、昭和38年(1963年)10月25日に社殿が再建された。現在の社殿はこのときの再建によるものである。昭和41年(1966年)には神社本庁の別表神社に加列され、現在に至っている。
境内では毎年4月22日に春季例大祭、10月26日に秋季例大祭が執り行われ、長崎県ゆかりの戦没者を祀る神社として祭祀が続けられている。
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神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
例祭 4月22日・10月26日
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%B8%A3%E8%AD%B7%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E7%B8%A3%E8%AD%B7%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%BE
