有名度
小結武雄神社
たけおじんじゃ
佐賀県武雄市武雄町大字武雄5335
塩釜神社・城山稲荷神社
更新日:2026年9月15日
幕末武雄の歴史を伝える二つの境内社
武雄神社の本殿に向かって左手、小さな鳥居と狛犬の先に塩釜神社と城山稲荷神社がともに祀られています。両社は同じ社殿に祀られていますが、それぞれ異なる由緒と信仰を持つ境内社です。塩釜神社は、地元では「塩釜さん」と呼ばれ親しまれてきました。御祭神は武内宿禰で、国土鎮護、航海安全、商売繁昌、延命、安産などのご利益があるとされています。
武雄に塩釜神社が祀られたのは、武雄鍋島家9代当主の鍋島茂義の時代です。天保8年(1837)6月、宮城県塩竈市に鎮座する鹽竈神社から勧請して奉斎したとする説が伝えられています。
鍋島茂義は西洋の科学技術や文化を積極的に取り入れた人物として知られています。一方、当時はこうした姿勢が「夷狄」として批判されることを憂慮し、国土の平定と鎮護を願って塩釜社を勧請したと伝えられています。塩釜神社の創建には、幕末に西洋技術の導入を進めた武雄領の歴史的背景がうかがえます。
城山稲荷神社は、安政5年(1858)9月に勧請して奉斎されたと伝えられています。「城山」とは武雄神社が鎮座する御船山の別名で、これにちなみ城山稲荷神社と称されています。一説には、京都の伏見稲荷大社から勧請されたともいわれています。
御祭神は倉稲魂神・猿田彦命・大宮女命の三神で、さらに摂社として田中大神・四大神の二神を祀り、あわせて稲荷五社大明神と称されています。これらの神々は殖産興業の守護神として信仰され、地域の産業や人々の暮らしを守る神として崇敬されてきました。
天保8年(1837)の塩釜神社、安政5年(1858)の城山稲荷神社と、いずれも江戸時代後期に武雄の地へ勧請された神社です。現在は一つの社殿にともに祀られ、武雄神社の境内社として信仰を集めています。
られています。これらの神々は殖産興業の守護神として信仰され、地域の産業や暮らしを支える存在として崇敬されてきました。
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