神幸式で御神輿行列が立ち寄るための仮の宮
頓宮(とんぐう)は、神様を遷した御神輿が祭礼の途中で休息し、一時的に鎮まるために設けられる仮の宮です。
香椎宮の頓宮は旧唐津街道沿いに鎮座し、2年に一度行われる神幸式(しんこうしき)では、御神輿行列が立ち寄る重要な場所として知られています。神幸式では、香椎宮から御神輿を奉じた行列が頓宮まで渡御し、古くから地域の人々とともに祭礼を営んできました。
かつては頓宮にも神殿や拝殿が建てられていましたが、中世以降に衰退し、神幸式も一時途絶えたと伝えられています。しかし、明治6(1873)年に神幸式が再興されると、明治40(1907)年には現在の常設社殿が建立されました。以来、「香椎宮浜殿」とも称えられ、神幸式を支える大切な神事の舞台として受け継がれています。
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境内には、万葉集ゆかりの歌人たちが香椎潟を詠んだ和歌を刻んだ万葉歌碑も建立されています。香椎潟は古くから美しい景勝地として知られ、多くの歌人がその風景を歌に残しました。歌碑には、明治時代の元勲・三条実美(さんじょうさねとみ)の揮毫による万葉歌3首が刻まれています。
大伴旅人(おおとものたびと)は、香椎廟へ参詣した際に「いざ子ども香椎の潟に白妙の袖さへねれて朝菜摘みてむ」と詠み、香椎潟で海藻を摘む穏やかな朝の情景を表現しました。大宰府の長官であった大弐小野老(だいにのおののおゆ)は「時つ風吹くべくなりぬ香椎潟潮干の浦に玉藻刈りてな」と詠み、潮が引いた浜辺で海藻を採る風景を描いています。また、豊前守宇努首男人(ぶぜんのかみ・うぬのおびとおひと)は「往き帰り常にわが見し香椎潟明日ゆ後には見む縁もなし」と詠み、都へ帰る前に香椎潟との別れを惜しむ心情を表しました。
これらの歌は万葉仮名で刻まれ、古代の文学や香椎の歴史を今に伝えています。神幸式の舞台としての歴史と万葉文化の趣をあわせ持つ頓宮は、香椎宮を訪れた際にぜひ立ち寄りたい見どころの一つです。