熊襲征伐の伝承を今に伝える香椎宮起源の地
本殿から北東に位置する古宮(ふるみや)は、仲哀天皇が熊襲征伐のために営んだと伝わる仮宮「橿日宮(かしひのみや・訶志比宮)」があったとされる場所です。香椎宮発祥の地とも伝えられ、仲哀天皇と神功皇后にまつわる伝承を今に伝える、境内でも特に歴史の深い場所の一つとなっています。
仲哀天皇は熊襲征伐の途中、この橿日宮で崩御したと伝えられています。その後、神功皇后はこの地を拠点として軍をまとめ、後に三韓出兵へ向かったとされ、古宮には古代から語り継がれてきた伝承が残されています。現在も周囲には深い緑が広がり、本殿とは異なる落ち着いた雰囲気の中で、香椎宮の創建伝承に触れることができます。
古宮は、かつて「香椎廟」とも呼ばれ、仲哀天皇の廟跡とも伝えられてきました。大正4年(1915)までは仲哀天皇を祀る祠が鎮座し、香椎宮の摂社として崇敬されていましたが、仲哀天皇が本殿へ合祀されたことに伴い、現在は摂社ではありません。それでも旧暦で仲哀天皇の命日にあたる毎年12月6日には、本殿で古宮祭が斎行され、仲哀天皇ゆかりの地として現在も大切に受け継がれています。また、近くには「仲哀天皇大本営御旧蹟」の石碑が建ち、この地が古くから仲哀天皇ゆかりの旧跡として伝えられてきたことを物語っています。
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香椎の由来になったご神木
古宮の一角には、門で閉ざされ、赤い玉垣に囲まれた御神木「香椎」があります。これは、仲哀天皇の崩御後に神功皇后が仲哀天皇の棺を掛けたと伝わる「棺掛椎(かんかけのしい)」です。
棺を立て掛けた椎の木から芳しい香りが周囲へ漂ったことから、この地は「香椎」と呼ばれるようになったと伝えられています。現在も香椎宮の社名や地域名の由来を伝える御神木として、大切に守られています。