桃山時代の特色を色濃く残す社殿 | 宗像大社 辺津宮 - 神社ファン

有名度

関脇

宗像大社 辺津宮

むなかたたいしゃ へつぐう

福岡県宗像市田島2331

桃山時代の特色を色濃く残す社殿

更新日:2025年7月19日

本殿・拝殿

参道を進み神門をくぐった先、最初に目に入るのは拝殿です。現在は神門から拝殿まで屋根で繋がっています。
神門から続く屋根と拝殿
1590年に小早川隆景によって造営された、桁行六間、梁間正面一間、背面三間の大きさの建物です。切妻造妻入の建築様式で建てられており、屋根はこけら葺きになります。
拝殿内部
拝殿内部周りには第三代福岡藩主である黒田光之が1680年(延宝8年)に辺津宮拝殿に奉納した三十六歌仙扁額一組(レプリカ)が飾られています。
拝殿正面にある扁額
拝殿奥にある扁額には「奉助天孫而 為天孫所祭」と書かれています。意味は「宗像三女神たち、道中に降臨して、天孫を助け奉り、天孫の為に祭られよ」で、道中は玄界灘と言われています。このことから宗像三女神は航海安全や交通安全のご利益があるとされています。
拝殿入口にある「宗像宮」の扁額
神門から続く屋根と重なった見難いですが、拝殿入口上部には「宗像宮」と書かれた扁額が掲げられています。

国の重要文化財の本殿

拝殿の奥に建つのは本殿です。1578年に宗像大宮司宗像氏貞によって造営された五間社流造の建物になります。屋根はこけら葺き、鮮やかな朱塗りが特徴です。拝殿、本殿ともに桃山時代の神社建築の特色がよく表されており、1907年(明治40年)に国の重要文化財に指定されました。
拝殿と本殿
宗像大社の社殿の歴史は古く、少なくとも12世紀には存在していたことがわかっています。しかし幾度もの戦乱で何度も焼失し、記録に残る最後の焼失は1557年に起きています。
その後1578年に、宗像氏の最後の大宮司である宗像氏貞によって本殿が再建されました。氏貞に後継者がなく大宮司家は途絶えましたが、1590年に九州へ移った小早川隆景によって拝殿が再建されています。
その後は福岡藩を治めた黒田家が代々修理費用を負担してきました。宗像大社への信仰は、時代が変わっても途切れることなく、現在まで脈々と受け継がれています。
本殿 横

御祭神・ご利益

辺津宮に祀られているのは宗像三女神の一柱である市杵島姫神です。海や陸の交通安全のご利益が有名で、自動車に取り付けるタイプの交通安全のお守りは辺津宮が発祥の地と言われています。
また市杵島姫神は神仏習合時代には弁財天と習合したので、商売繁盛のご利益もあります。
本殿 後

宗像氏貞の墓地及び石塔

宗像大社辺津宮から車で10分ほど離れた場所に、宗像氏貞の墓があります。宗像氏貞は、宗像大社本殿の再建をはじめ、近隣56社寺の造営・再建に尽力した、宗像氏最後の英傑とも称される人物です。42歳の若さで病に倒れたあとは、父・隆尚公ゆかりの承福寺下の地に葬られました。現在も石塔として氏貞の墓を見ることができます。その歴史的価値から「宗像氏貞の墓地及び石塔」という名称で1993年に宗像市の指定文化財に指定されています。

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