有名度
前頭西條神社
さいじょうじんじゃ
愛媛県西条市大町1159番1
愛媛県西条市大町1159番1

かんたんご利益
- 学業
- 勝負
西條神社には
「学業・技芸系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
文の神 武の神 勝運の神
御祭神
徳川家康公 とくがわいえやすこう
徳川頼宣公 とくがわよりのぶこう
松平諸公 まつだいらしょこう
神社系統
この神社の主な系統は
「東照宮系」 「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
西條神社は愛媛県西条市に鎮座する神社。御祭神は徳川家康公、徳川頼宣公、松平諸公をまつる。
社格は旧県社。
西條神社の起こりは、寛文10年(1670年)に創建された西條東照宮にある。同年、初代西條藩主・松平頼純公が西条へ入部した際、神祖徳川家康公、紀州藩初代藩主徳川頼宣公、歴代西條藩主を祀るため、石鈇山蔵王権現の北側に西條東照宮を創建した。
松平頼純公は紀州徳川家の系統に連なる人物であり、西條東照宮は西條藩松平家の祭祀とともに歩んだ。東照宮の社名は、徳川家康公を祀る社として用いられていた。
版籍奉還後の明治5年(1872年)、西条県藩知事であった松平頼英公により、社名は西條神社へ改められた。同時に、町内の人々の奉仕によって社殿は現在地へ遷座した。遷された社は、城郭を思わせる構えで造営されたと伝わる。
明治6年(1873年)には、全国社格制定により大町村村社となった。さらに明治27年(1894年)、旧新居郡に鎮座する5社のうちの1社として県社へ昇格した。
現在も西條神社は「西條東照宮」の名で親しまれている。社宝には、徳川家康公御馬印、智月院御駕籠、勝海舟筆「東照宮」の額、山岡鉄舟筆「西條神社」の神号額などが伝わる。智月院は、西條藩9代藩主松平頼学公の正室である。
社格は旧県社。
西條神社の起こりは、寛文10年(1670年)に創建された西條東照宮にある。同年、初代西條藩主・松平頼純公が西条へ入部した際、神祖徳川家康公、紀州藩初代藩主徳川頼宣公、歴代西條藩主を祀るため、石鈇山蔵王権現の北側に西條東照宮を創建した。
松平頼純公は紀州徳川家の系統に連なる人物であり、西條東照宮は西條藩松平家の祭祀とともに歩んだ。東照宮の社名は、徳川家康公を祀る社として用いられていた。
版籍奉還後の明治5年(1872年)、西条県藩知事であった松平頼英公により、社名は西條神社へ改められた。同時に、町内の人々の奉仕によって社殿は現在地へ遷座した。遷された社は、城郭を思わせる構えで造営されたと伝わる。
明治6年(1873年)には、全国社格制定により大町村村社となった。さらに明治27年(1894年)、旧新居郡に鎮座する5社のうちの1社として県社へ昇格した。
現在も西條神社は「西條東照宮」の名で親しまれている。社宝には、徳川家康公御馬印、智月院御駕籠、勝海舟筆「東照宮」の額、山岡鉄舟筆「西條神社」の神号額などが伝わる。智月院は、西條藩9代藩主松平頼学公の正室である。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
境内社 神社名不明
祭神不明境内社 神社名不明
祭神不明例祭
歳旦祭・新年初詣祈祷 1月1日
節分祭 2月
例大祭 4月6日
水無月大祓 6月
七五三詣 11月
師走大祓 12月
月例祭 毎月1日
節分祭 2月
例大祭 4月6日
水無月大祓 6月
七五三詣 11月
師走大祓 12月
月例祭 毎月1日
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://www.saijojinja.or.jp/
http://www.saijojinja.or.jp/
