徳川頼宣
とくがわよりのぶ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング655位
- 藩主(水戸藩
- 駿府藩
- 和歌山藩)
江戸 [1602年~1671年]
徳川頼宣とは?
徳川頼宣(1602-1671)は江戸時代前期の人物。徳川家康の子で、徳川光貞らの親。8代将軍・徳川吉宗の祖父にあたる。頼宣は徳川家康の十男として京都の伏見城で生まれ、2歳にして常陸国(現在の茨城県)水戸藩20万石を与えられた。幼少のため直ちに水戸には入ることはなかったが、翌年にはさらに5万石を加増、のち駿河・遠江50万石に移されて遠江国(現在の静岡県)横須賀城を居城としている。大阪冬の陣で初陣を飾り、大阪夏の陣では後詰として活躍。これらの功績もあって1619年には紀伊国(現在の和歌山県)和歌山55万5千石に転封、徳川御三家の一角「紀州徳川家」の祖となった。紀州藩主の座に就いてからは、和歌山城の改築・城下町の整備・地士制度の実施など、紀州藩繁栄の基礎を築いている。4代将軍・徳川家綱が幼少の頃には徳川家の長老として一族を牽引するなど、頼宣は実に47年9ヵ月に渡って紀州藩主の任を務めあげた。その治世の間、頼宣は南海道の総鎮護として「関西の日光」とも称される紀州東照宮の創建も行っている。 また頼宣は、件の紀州東照宮の主祭神でもある。同神社では徳川家康の「東照大権現」に対応し、頼宣を「南龍大神」として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
