雄郡神社 - 神社ファン

有名度

前頭

雄郡神社

ゆうぐんじんじゃ

愛媛県松山市小栗町三丁目3番19号

愛媛県松山市小栗町三丁目3番19号

拝殿

CT-May(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

雄郡神社以外にも 正八幡 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 学業
  • 子供
  • 安全
  • 厄除
  • 勝負
雄郡神社には

「学業・技芸系」「子供系」「安全系」「厄除・開運系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

除災招福 道中安全 伎芸上達 勝運長久 安産発育 学業成就

御祭神

天宇受売命 あめのうずめのみこと
八幡三神 はちまんさんじん

神社系統

この神社の主な系統は

「不明(1柱)」 「八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

雄郡神社は愛媛県松山市に鎮座する神社。御祭神は天宇受売命、八幡三神の2柱をまつる。
社格は国史見在社であり、旧県社。
雄郡神社の起源は、天宇受賣命を祀ったことに始まると伝えられている。奉祀年代は古く、詳細な創建時期は明らかではない。その後、九州の宇佐から八幡三神が勧請され、現在の祭神構成となった。
元慶2年(878年)には、雄郡神が従五位下の神階を授けられた記録が『日本三代実録』に残されている。古代の史料に社名が見える神社として、古くから地域で祭祀が続けられてきた。
後三條天皇の御代、1068年から1073年頃には、伊予守であった源頼義が河野経親に命じ、領内に八所八幡宮を定めた。雄郡神社もその1社に数えられ、正八幡宮と称された。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの頃には、雄郡神社を守護していた武家が東軍の要請によって地方戦へ赴いた。その間に西軍の兵による放火があり、社殿や宝物、古文書などが焼失した。焼失後は境内地の多くが水田となり、神社には仮宮が置かれた。
元禄6年(1693年)には、藩主の寄進によって社殿が再建された。明治初年には「雄群神社」と称されていたが、明治35年に旧記に基づいて現在の「雄郡神社」へ改称された。
境内には忠霊塔、正岡子規の句碑、雄郡小学校発祥の地を示す記念碑などが建てられている。正岡子規は雄郡神社の氏子地域に生まれ、雄郡神社に関する句を残した。句碑には、明治28年(1895年)秋に詠まれた句が刻まれている。
年間の祭礼としては、1月1日の歳旦祭、1月15日のどんど焼き、3月第1日曜日の福運祭、6月30日の夏越祭、10月5日から7日にかけて行われる秋季例大祭、11月23日の感謝祭などがある。秋季例大祭は3日間にわたって斎行され、現在も氏子地域の祭礼として受け継がれている。
  • 県社
  • 国史見在社
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神社詳細

摂末社・境内社

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文化財

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建築

本殿 流造

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E9%83%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
愛媛県神社庁
http://ehime-jinjacho.jp/