有名度
前頭八幡総社両神社
はちまんそうしゃりょうじんじゃ
徳島県徳島市国府町観音寺字石田50番地イ
徳島県徳島市国府町観音寺字石田50番地イ

かんたんご利益
- 仕事
- 勝負
八幡総社両神社には
「仕事系」「勝負系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利
御祭神
八幡神社 主祭神
応神天皇 おうじんてんのう
総社 主祭神
阿波国式内社50座 あわのくにしきないしゃ50ざ
神社系統
この神社の主な系統は
「八幡系」 「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
八幡総社両神社は徳島県徳島市に鎮座する神社。御祭神は応神天皇、阿波国式内社50座、をまつる。
社格は阿波国総社(論社)であり、旧村社。
八幡総社両神社は、阿波国府に近い徳島市国府町観音寺の石田に鎮座する神社である。寛保改神社帳には「観音寺村惣社大明神」と記され、あわせて「観音寺村八幡宮」の名もみえる。
奈良時代、国司は国内の官社や崇敬する神社へ幣帛を奉り、各地の神社へ参詣していた。平安時代中期以降になると、国内の諸神社の神霊を国府近くに勧請し、総社が置かれるようになった。阿波国でも、阿波国式内社50座の神霊を祀る総社が国府近辺に設けられた。八幡総社両神社は、その総社と近在にあった八幡神社が合祀された神社である。
社伝では、安政3年(1856年)再建の棟札が残されている。旧社地は現在地の南方にあったとされ、周辺には現在も「総社が原」の呼称が伝わる。旧社地の広さは約3,000坪に及んだとされる。
阿波国の式内社は、大麻比古神社をはじめ50座46社が知られている。国府町周辺にも、大御和神社や八倉比売神社などの式内社が鎮座している。八幡総社両神社は、阿波国総社と八幡神社の名を現在まで伝える神社である。
社殿は四国霊場第16番札所・観音寺の本堂東側に鎮座する。境内には鳥居や社号標、拝殿、本殿覆屋が建ち、拝殿には神社名を記した扁額が掲げられている。
社格は阿波国総社(論社)であり、旧村社。
八幡総社両神社は、阿波国府に近い徳島市国府町観音寺の石田に鎮座する神社である。寛保改神社帳には「観音寺村惣社大明神」と記され、あわせて「観音寺村八幡宮」の名もみえる。
奈良時代、国司は国内の官社や崇敬する神社へ幣帛を奉り、各地の神社へ参詣していた。平安時代中期以降になると、国内の諸神社の神霊を国府近くに勧請し、総社が置かれるようになった。阿波国でも、阿波国式内社50座の神霊を祀る総社が国府近辺に設けられた。八幡総社両神社は、その総社と近在にあった八幡神社が合祀された神社である。
社伝では、安政3年(1856年)再建の棟札が残されている。旧社地は現在地の南方にあったとされ、周辺には現在も「総社が原」の呼称が伝わる。旧社地の広さは約3,000坪に及んだとされる。
阿波国の式内社は、大麻比古神社をはじめ50座46社が知られている。国府町周辺にも、大御和神社や八倉比売神社などの式内社が鎮座している。八幡総社両神社は、阿波国総社と八幡神社の名を現在まで伝える神社である。
社殿は四国霊場第16番札所・観音寺の本堂東側に鎮座する。境内には鳥居や社号標、拝殿、本殿覆屋が建ち、拝殿には神社名を記した扁額が掲げられている。
スポンサーリンク
神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
徳島県神社庁
http://awa-jinjacho.jp/
http://awa-jinjacho.jp/
