美作総社宮 - 神社ファン

有名度

前頭

美作総社宮

みまさかそうじゃぐう

岡山県津山市総社427

岡山県津山市総社427

拝殿と本殿

Saigen Jiro(wikipedia CC0)

美作総社宮以外にも 惣社大明神 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 恋愛
  • 仕事
  • 子供
美作総社宮には

「恋愛系」「仕事系」「子供系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

縁結び 五穀豊穣 商売繁盛 子授け

御祭神

大己貴命 おおなむちのみこと

神社系統

この神社の主な系統は

出雲・オオナムチ系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

美作総社宮は岡山県津山市に鎮座する神社。御祭神は大己貴命の1柱をまつる。
社格は美作国の総社であり、旧県社。
古代、各国の国司は国内の神社を一宮から順に巡拝して祭祀を行っていたが、その負担を軽減するため、国府の近くに国内の神々を合祀した総社が設けられるようになった。当社はそのうちの美作国の総社にあたる。
社伝では欽明天皇25年(564年)頃、現在地の西方約1kmにある本館の地に大己貴命を祀ったことを創始とする。ただしこの年代の根拠は明確ではなく、室町時代末期以前の沿革は詳らかでない。
奈良時代初期の和銅6年(713年)、備前国北部6郡が分割され美作国が成立し、和銅7年(714年)には国府が置かれたと伝わる。その後、美作国司により現在の亀甲山へ遷座され、中山神社や高野神社など美作国65郷の神々が合祀され、美作国総社と定められたと伝えられる。
鎌倉時代に入ると国府は衰退したが、当社は存続し、美作三大社の一社として崇敬されたと伝えられる。確かな記録によって沿革が確認できるのは永禄12年(1569年)で、当地に進出した毛利元就により所領が安堵された。その後も領主からの崇敬は続き、江戸時代には津山藩主森氏および松平氏から社領の寄進を受けた。
明治維新後、近代社格制度において県社に列し、神饌幣帛料供進神社に指定された。
本殿は永禄5年(1562年)に毛利元就が再建したものであり、明暦3年(1657年)には津山藩主森長継により大改修が行われた。建築は桁行三間・梁間三間の一重入母屋造妻入で、向拝一間に向唐破風を付し、こけら葺とする中山造の形式をもつ。現在、この本殿は重要文化財に指定されている。
  • 県社
  • 総社(美作国)
スポンサーリンク

神社詳細

正式名称

総社

摂末社・境内社

情報募集

例祭

情報募集

文化財

情報募集

建築

情報募集

神紋

情報募集

出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E4%BD%9C%E7%B7%8F%E7%A4%BE%E5%AE%AE
岡山県神社庁
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/