有名度
横綱出雲大社
いずもたいしゃ
島根県出雲市大社町杵築東195番地
御本殿・御祭神・ご利益
更新日:2026年10月17日
日本最大級の御本殿
御本殿は、出雲大社の御祭神である大国主大神がお鎮まりになる場所です。三重の垣に囲まれた神域の最も奥、通常の参拝では立ち入ることのできない場所に鎮座しています。
建築様式は「大社造」と呼ばれ、伊勢神宮の神明造とともに神社建築の二大源流とされています。現在の御本殿は江戸時代前期の寛文度造営の規模と形式を受け継いで建てられたもので、1952年(昭和27年)3月29日に国宝に指定されました。
平成20年(2008年)からは「平成の大遷宮」が行われ、約60年ぶりとなる御本殿の大規模な修造が実施されました。大屋根の檜皮葺き替えなどを経て、2013年(平成25年)5月10日に大国主大神を御本殿へお戻しする本殿遷座祭が執り行われています。平成の大遷宮に関わる一連の事業は2019年まで続きました。

西を向いて鎮座する大国主大神
御本殿内部には9本の柱が田の字形に配置され、建物を支えています。中央に立つのが、直径1メートルを超える巨大な「心御柱(しんのみはしら)」です。特に特徴的なのが、大国主大神がお鎮まりになる御神座の向きです。
御神座は御本殿内部の右奥に設けられており、御本殿正面と同じ南向きではなく、西を向いています。そのため八足門から御本殿を参拝すると、大国主大神を横から拝む形になります。
御本殿内部に祀られる神々
御内殿の前室には「御客座」があり、天之常立神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、神産巣日神、高御産巣日神、天之御中主神の5柱がお祀りされています。いずれも天地開闢の際に現れた特別な神々で、『古事記』では「別天神」と呼ばれています。
また、御本殿中央の心御柱付近には、大国主大神の御子神である和加布都努志命(牛飼神)がお祀りされています。

天井に描かれた「八雲の図」
御本殿の天井には「八雲の図」と呼ばれる美しい天井画が描かれています。赤・青・黄・紫・黒などの鮮やかな色彩を用いて描かれているのは、名前が「八雲」であるにもかかわらず7つの雲です。
なぜ八雲の図に7つしか雲が描かれていないのか、その理由は明確には分かっていません。一説には、あえて一つ少なくすることで完成することなく、大国主大神の御神威が未来永劫に続くことを表しているともいわれています。
普段の参拝で御本殿内部を見ることはできませんが、出雲大社を代表する知られざる意匠のひとつです。

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御祭神・ご利益
出雲大社の御祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。日本神話を代表する神の一柱で、国づくりを行った神として知られています。「大穴牟遅神」「大己貴命」「八千矛神」「葦原色許男神」など数多くの名前を持ち、一般には「だいこくさま」として広く親しまれています。
大国主大神は、国づくりを進めるなかで農耕や漁業をはじめとするさまざまな暮らしの業、医薬など、人々が生活していくための知恵を授けた神とされています。
そして、出雲大社といえば特に有名なのが「縁結び」です。
出雲大社の縁結びは男女の恋愛だけを意味するものではありません。人と人との出会いはもちろん、仕事や物事など、人々を取り巻くあらゆるつながりを幸せへと結ぶ「むすび」の御神徳として信仰されています。

なぜ出雲大社は縁結びで有名?
出雲大社が縁結びの神社として全国的に知られている背景には、御祭神・大国主大神が国譲りの後に担うことになった役割があります。大国主大神は国づくりを成し遂げた後、天照大御神に国を譲りました。その際、私たちの目に見える世界は天照大御神の御子孫が治め、大国主大神は人智の及ばない目に見えない「幽事(かくりごと)・神事(かみごと)」を主宰する神となったと伝えられています。人と人、人と物、さまざまな出来事を目に見えないところで結ぶ「むすび」も、大国主大神が司る大切な働きのひとつです。
さらに出雲では、旧暦10月になると全国の神々が集まり、人々のさまざまな縁について「神議(かみはかり)」を行うと伝えられています。
一般に旧暦10月は「神無月」と呼ばれますが、神々が集まる出雲では「神在月(かみありづき)」と呼ばれ、出雲大社では現在も神迎神事・神迎祭、神在祭、縁結大祭などが執り行われています。
その神議を主宰するのが大国主大神です。こうした大国主大神の「むすび」の御神徳と神在月の信仰が、出雲大社が「縁結びの神様」として広く信仰される大きな理由となっています。
また一説には、大国主大神に多くの后神や御子神がいることも、縁結び信仰と結びつけて語られてきました。『古事記』などでも多くの御子神を持つ神として伝えられています。

高さ48メートルと伝わる巨大神殿
現在でも高さ約24メートルを誇る出雲大社御本殿ですが、かつては現在をはるかに上回る巨大な神殿だったと伝えられています。社伝によれば、最古の御本殿は32丈、約96メートル、その後は16丈、約48メートルの高さがあったとされます。
約96メートルという高さについては伝承の域を出ませんが、約48メートルの巨大神殿については、その可能性を考えさせる史料が残されています。
平安時代中期、源為憲が貴族の子弟のために著した教科書『口遊(くちずさみ)』には、当時の巨大建築を表す言葉として「雲太、和二、京三」と記されています。
「雲太」は出雲国の出雲大社、「和二」は大和国の東大寺大仏殿、「京三」は平安京の大極殿を指すとされ、出雲大社が当時を代表する高大な建築として認識されていたことが分かります。
当時の東大寺大仏殿は高さ約15丈、約45メートルだったとされるため、『口遊』の記述は、それを上回る規模の出雲大社御本殿が存在した可能性を考える重要な史料となっています。
また、出雲大社に伝わる御本殿の平面図「金輪御造営差図」には、3本の巨木を束ねて1本の柱とする巨大な御柱が描かれています。
そして2000年(平成12年)、出雲大社境内から、まさに3本の巨大な木材を束ねた御柱が発見され、大きな注目を集めました。
発掘調査の結果、この御柱は鎌倉時代の宝治2年(1248年)に造営された御本殿のものと考えられています。
そのため、この御柱そのものが平安時代の高さ48メートルの御本殿を直接証明したわけではありません。しかし、中世の出雲大社で実際に3本の巨木を束ねた巨大な柱を使用するほど大規模な御本殿が造営されていたことを示す、非常に重要な発見となりました。
『口遊』に残された「雲太」の記録、48メートルという社伝、金輪御造営差図、そして実際に発見された巨大御柱。これらを重ね合わせることで、かつての出雲大社御本殿がどのような姿だったのか、現在も研究が続けられています。
Blue Lotus(wikipedia CC 表示-2.0)現在の高さ約24メートルの国宝御本殿を眺めた後に巨大な宇豆柱や復元模型を見ると、かつての出雲大社がどれほど壮大な神殿であったのか、その姿をより具体的に想像することができます。
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