御本殿・御祭神・ご利益 | 出雲大社 - 神社ファン

有名度

横綱

出雲大社

いずもたいしゃ

島根県出雲市大社町杵築東195番地

御本殿・御祭神・ご利益

更新日:2025年8月14日

日本最大級の御本殿

御本殿は、出雲大社のご祭神である大国主大神が鎮まる場所です。三重の垣に囲まれた神域の最も奥、参拝者は立ち入ることの出来ない場所に鎮座しています。
境内から見える拝殿・八足門・楼門・本殿
現在の御本殿は1744年の江戸時代中期に造営されたもので、神社建築としては国内最大級の大きさだと言われています。建物の構造は六間四方の正方形平面で、地上から屋根の千木までが24メートル、切妻造の妻入です。檜皮葺の屋根の上には千木と3本の勝男木が載っています。大社造と呼ばれる建築様式で建てられており、伊勢神宮御正殿と並んで最古の様式と言われています。1952年(昭和27年)には国宝に指定された、大変貴重な建物です。また2013年には平成の大遷宮が行われ、60年ぶりに御本殿が修造されました。
本殿 横
本殿内部は30畳の外陣と30畳の内陣に分かれており、中央には太さ1.09メートルの心御柱(しんのみはしら)が立ちます。この柱を中心に、前後に宇豆柱(うずばしら)、左右に側柱が3本ずつ、合計9本の柱が田の字形に配置され御本殿を支えています。特に特徴的なのは、大国主大神が鎮座する向きでしょう。殿内の右奥にある御神座は、御本殿正面である南向きではなく、西向きに鎮座しています。御本殿を囲む瑞垣の西側には遥拝所が設けられていますので、大国主大神を正面から拝みたい方はそちらに足を運んでみましょう。
本殿 後ろ
御本殿の天井には「八雲の図」が描かれています。赤、青、黄、紫、黒などの極彩色ゆたかな7つの雲が表現されています。八雲という名前に対し描かれた雲が7つなのは、大国主大神の威光が未来に続くという意味が込められているとも言われていますが、真偽は不明です。
内部の前室、御神座の前には御客座があり、天之常立神、宇麻志阿斯訶備比古遅神、神産巣日神、高御産巣日神、天之御中主神の5柱の神々がお祀りされています。天地開闢の時にあらわれた、別天神とも呼ばれる神々です。
また心御柱付近にお祀りされている和加布都努志命(牛飼神)は、大国主大神の御子神になります。
本殿 西側の遥拝所

御祭神・ご利益

出雲大社の御祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)で、国づくりの神様として全国で祀られています。別称が多い神様で「大穴牟遅神」「大己貴命」「八千矛神」「葦原色許男」他多数あります。一般的には「だいこくさま」として慕われています。
大国主大神はえんむすびの神として有名で、縁結びの御利益は全国的に有名です。また「縁」は恋愛などの男女の縁だけでなく、人々の様々な縁を結んでくれる御利益とされ、仕事の縁も結んでくれるとして、仕事運向上の御利益も期待です。
また国づくりの神様として農耕・漁業・殖産から医薬の道まで生きていく上で必要な知恵を授けてくれた神様です。生活に必要な御利益はすべて授けてくれるといえるでしょう。
ムスビの御神像の大国主命

なぜ縁結びで有名?

出雲大社がなぜ縁結びの御利益で有名なのでしょうか?御祭神である大国主は神話にある国譲りの際に天照大神に「幽れたる神事を治める」と約束しています。幽れたる神事とは「目に見えない縁を結ぶ」ことであり、大国主には、むすびのご神徳があります。むすびの御神徳がありまますが、「縁結び」が特出しているのではなく、むすびのご神徳の一つとしています。「縁結び」だけが有名になったのは諸説ありますが有力の2説を紹介します。
大国主にはたくさんの妻と子供がいるモテる神様のため
大国主はたくさんの妻と子供がいる神様です。子供の数は『古事記』には180柱(人)、『日本書紀』には181(人)と書かれています。ただ実際には「うちの国の○○は実は大国主のことだ」といった感じで大国主が地方の神様と結びついたためといわれています。
神無月に全国の神様は出雲大社にあつまり、縁結びの相談をするため
旧暦の10月に神無月に全国の神様は出雲大社にあつまり、縁結びの相談をすることは有名でご存知の方も多いのではないでしょうか?神無月は神がいなくなる月ではなく語源俗解で実際は違う間違った解釈なのですが、御師(神社の信仰をひろめる人)の宣伝活動で全国的に広まり、出雲大社も旧暦10月に「神在月」の神事が行われるようになりました。
縁結びの絵馬

高さ48メートルの巨大神殿

かつて出雲大社の御本殿は、今よりもさらに高大でした。社伝によると古代は約96メートル、中世は約48メートルもの高さがあったと伝わります。
96メートルの木造建築は技術的に不可能な高さであるため信憑性が疑われますが、48メートルについては実現可能であり、事実であったと言われています。
平安時代の学者である源為憲が記した、「口遊」という名の貴族の子弟向けの教科書には、当時の巨大建築のベストスリーとして「雲太、和二、京三」が記されていました。この雲太が出雲大社であり、和二は大和国東大寺の大仏殿、京三は平安京の大極殿だと言われています。東大寺の大仏殿は当時45メートルの高さであったため、出雲大社の御本殿はそれ以上の高さだったと考えられています。またそれを裏付けるように、2000年には、かつて御本殿を支えていたと考えられる巨大な柱が、境内から出土しました。
古代の本殿(復元模型)Blue Lotus(wikipedia CC 表示-2.0)
出雲大社からほど近い、島根県立古代歴史博物館では平安時代の出雲大社本殿を再現したミニチュアの模型や境内から出土した宇豆柱などが展示されています。

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