有名度
前頭焼火神社
たくひじんじゃ
島根県隠岐郡西ノ島町美田1294番地
島根県隠岐郡西ノ島町美田1294番地

ChiefHira(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
焼火神社以外にも 隠岐の権現さん とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 安全
焼火神社には
「安全系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
海上安全
御祭神
大日霊貴尊 おおひるめむちのみこと
神社系統
この神社の主な系統は
「伊勢・神明系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
焼火神社は島根県隠岐郡西ノ島町に鎮座する神社。御祭神は大日霊貴尊の1柱をまつる。
社格は旧県社。
焼火神社の創祀は、一条天皇の時代にさかのぼると伝えられる。『焼火山縁起』では、海中に生じた光が数夜にわたって輝き、その後のある夜に焼火山へ飛び入ったため、村人が跡を追って山へ登ったとされる。山中には薩埵の形をした岩があり、その場所に社殿が造営されたと伝えられる。
平安時代には、永承6年(1051年)5月5日の歌合で、源経俊が「焼火神」を詠んだ和歌が記録されている。この歌は『栄花物語』に見え、焼火神の名が早くから知られていたことを示す記録として伝わる。
承久年間(1219年-1222年)、隠岐に配流された後鳥羽上皇は、海上で暴風に遭い祈念したのち、暗夜の中で再び祈ったところ、海中から神火が現れて焼火山西麓の港へ導いたと伝えられる。この後、上皇は祠を建てたとされる。
建治2年(1276年)、隠岐国守護の佐々木泰清は、美多荘の大山社の禰宜であった僧・慈蓮に所領を安堵した。翌建治3年(1277年)には、高岡宗泰が慈蓮を御殿人とする下文を発給している。
南北朝時代以降、焼火山では地蔵菩薩を本尊とする焼火山雲上寺が営まれた。神社は「焼火山大権現」と称され、雲上寺と一体となった形で存続した。天文9年(1540年)には僧・良源による造営のための勧進が行われたと伝えられる。永禄6年(1563年)には隠岐幸清から田地2反の寄進があり、近世には社領10石を有したことが確認されている。
明治の神仏判然令により宮寺一体の形態は解消され、神社として再編された。その後、近代社格制度においては大正7年(1918年)に県社へ列している。
社殿は焼火山の山腹に位置し、本殿は岩窟に接して建てられている。本殿は享保17年(1732年)建立の一間社流造銅板葺であり、拝殿は寛文13年(1673年)の建造である。本殿・通殿・拝殿からなる複合社殿は、平成4年(1992年)に国の重要文化財に指定されている。祭礼では7月23日に例祭が行われ、隠岐島前神楽が奉納される。旧暦12月大晦日には龍灯祭が行われ、旧正月から約1か月にわたり島前の各集落による参拝が続く春詣祭が伝わる。文化財としては、国指定重要文化財の社殿のほか、重要有形民俗文化財のトモド、島根県指定有形文化財の銅鐘、島根県指定天然記念物の神域植物群がある。
社格は旧県社。
焼火神社の創祀は、一条天皇の時代にさかのぼると伝えられる。『焼火山縁起』では、海中に生じた光が数夜にわたって輝き、その後のある夜に焼火山へ飛び入ったため、村人が跡を追って山へ登ったとされる。山中には薩埵の形をした岩があり、その場所に社殿が造営されたと伝えられる。
平安時代には、永承6年(1051年)5月5日の歌合で、源経俊が「焼火神」を詠んだ和歌が記録されている。この歌は『栄花物語』に見え、焼火神の名が早くから知られていたことを示す記録として伝わる。
承久年間(1219年-1222年)、隠岐に配流された後鳥羽上皇は、海上で暴風に遭い祈念したのち、暗夜の中で再び祈ったところ、海中から神火が現れて焼火山西麓の港へ導いたと伝えられる。この後、上皇は祠を建てたとされる。
建治2年(1276年)、隠岐国守護の佐々木泰清は、美多荘の大山社の禰宜であった僧・慈蓮に所領を安堵した。翌建治3年(1277年)には、高岡宗泰が慈蓮を御殿人とする下文を発給している。
南北朝時代以降、焼火山では地蔵菩薩を本尊とする焼火山雲上寺が営まれた。神社は「焼火山大権現」と称され、雲上寺と一体となった形で存続した。天文9年(1540年)には僧・良源による造営のための勧進が行われたと伝えられる。永禄6年(1563年)には隠岐幸清から田地2反の寄進があり、近世には社領10石を有したことが確認されている。
明治の神仏判然令により宮寺一体の形態は解消され、神社として再編された。その後、近代社格制度においては大正7年(1918年)に県社へ列している。
社殿は焼火山の山腹に位置し、本殿は岩窟に接して建てられている。本殿は享保17年(1732年)建立の一間社流造銅板葺であり、拝殿は寛文13年(1673年)の建造である。本殿・通殿・拝殿からなる複合社殿は、平成4年(1992年)に国の重要文化財に指定されている。祭礼では7月23日に例祭が行われ、隠岐島前神楽が奉納される。旧暦12月大晦日には龍灯祭が行われ、旧正月から約1か月にわたり島前の各集落による参拝が続く春詣祭が伝わる。文化財としては、国指定重要文化財の社殿のほか、重要有形民俗文化財のトモド、島根県指定有形文化財の銅鐘、島根県指定天然記念物の神域植物群がある。
スポンサーリンク
神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
本殿 一間社流造銅板葺
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://takuhi-shrine.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E7%81%AB%E7%A5%9E%E7%A4%BE
島根県神社庁
https://www.shimane-jinjacho.or.jp/
http://takuhi-shrine.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E7%81%AB%E7%A5%9E%E7%A4%BE
島根県神社庁
https://www.shimane-jinjacho.or.jp/
