有名度
関脇八重垣神社
やえがきじんじゃ
島根県松江市佐草町227
境内の句碑・献碑
更新日:2026年8月18日
神話から俳句まで八重垣神社に残る文学碑
八重垣神社の境内には、素盞嗚尊の和歌を刻んだ歌碑をはじめ、松尾芭蕉や松江ゆかりの人物に関係する句碑・献碑が点在しています。縁結びや神話にまつわる見どころだけでなく、境内を歩きながらこうした文学碑を探してみるのも八重垣神社の楽しみ方の一つです。素盞嗚尊の句碑
境内には、八重垣神社の社名の由来にもなった「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣つくる その八重垣を」の歌碑が建っています。素盞嗚尊(すさのおのみこと)がヤマタノオロチを退治した後、稲田姫命との新居を構える際に詠んだと伝えられる歌で、日本最初の和歌ともいわれています。「八重垣神社」という社名にもつながる、神社にとって特に重要な一首です。
現在の歌碑は2005年(平成17)3月、遷宮を記念して建立されました。

松尾芭蕉の句碑
「和歌の跡とふや 出雲の八重霞」と刻まれた松尾芭蕉の句碑もあります。芭蕉自身は八重垣神社を訪れておらず、遠くからこの地に思いを寄せて詠んだ句と伝えられてきました。ただし、この句については芭蕉の作であることが確定しているわけではありません。島根県立図書館の調査では、芭蕉の発句を集成した資料で「存疑」の句とされ、収録された古い句集にも誤伝や他人の句の混入があることから、芭蕉本人の作品かどうかは疑問が残るとされています。
句碑は1936年(昭和11)6月に松江羽扇の会によって建立されました。芭蕉本人が訪れた場所を示す碑ではありませんが、八重垣神社が後世の俳諧や文学の世界でも意識されてきたことを伝えています。

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松平雪川公献碑
「木枯や 神のみゆきの 山の跡」と刻まれた石碑は、松平雪川公献碑と伝えられています。松平雪川(松平衍親)は、茶人として名高い松江藩7代藩主・松平治郷(不昧)の弟にあたる人物です。碑には雪川の句が刻まれていますが、裏面の文字は判読が難しく、建立された年代や詳しい経緯については分かっていません。

前田圭史の句碑
奥の院にある鏡の池の近くには、「笹鳴や 縁占ひの 神の池」と刻まれた句碑があります。作者の前田圭史は松江の俳人で、1957年(昭和32)には俳誌「城」の編集発行人を務めました。「縁占ひの神の池」と詠まれているように、八重垣神社を代表する鏡の池と縁占いを題材とした一句です。実際の鏡の池の近くに建っているため、池を訪れた際にあわせて見ておきたい句碑です。

前田圭史の妻の句碑
前田圭史の句碑の近くには、その妻の句碑も建っています。「そうこうの 妻に悔なき 初鏡」と刻まれており、夫婦の句碑を近い場所で見ることができます。碑の裏面には「昭和四十九年金婚記念」と刻まれていることから、1974年(昭和49)の金婚を記念して建立されたものと考えられています。ただし、前田夫妻の句碑が八重垣神社に建てられた詳しい経緯については分かっていません。
神話に始まる素盞嗚尊の歌から、江戸時代の松平雪川、松尾芭蕉にまつわる句碑、そして近代の前田夫妻まで、境内に残る石碑にはそれぞれ異なる時代の言葉が刻まれています。社殿や鏡の池だけでなく、こうした碑をたどってみると、八重垣神社が長い年月のなかで文学や俳句とも結びついてきたことが分かります。
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