八幡神社 米子市 - 神社ファン

有名度

前頭

八幡神社

はちまんじんじゃ

鳥取県米子市東八幡276

鳥取県米子市東八幡276

かんたんご利益

  • 仕事
  • 勝負
八幡神社には

「仕事系」「勝負系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

国家鎮護 殖産興業 武運長久 成功勝利

御祭神

神社系統

この神社の主な系統は

八幡系

です。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

八幡神社は鳥取県米子市に鎮座する神社。御祭神は品陀和気命(応神天皇)の1柱をまつる。
社格は旧郷社。
社伝では、養老4年(720年)に宇佐八幡宮を祀ったことに始まると伝えられる。鳥取県の県史だよりでは、古くは相見八幡とも呼ばれ、相見庄の鎮守として8世紀初めに宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられる。紀氏一族に属する巨勢氏がこの地に建立したとする説もある。
『伯耆誌』は、平安期に紀氏が創建した神社と推定し、地頭職や社領寄進に関する古文書を引いて記述している。『棟札書上帳』には、天永2年(1111年)に八幡大神を上葺した記録が残る。
元弘3年(1333年)には後醍醐天皇の綸旨と伝わる書状があり、建武5年(1338年)には山名時氏の書状に伯耆国久保田庄内三谷村の地頭職寄進が記される。社伝には、かつて社域が8町四方に及び、神宮寺、社家6戸、士8戸が存在したことが記される。
江戸時代には藩主の祈願所とされた。慶長年間(1596年~1615年)に40石、元和6年(1620年)に55石9斗8合、寛永9年(1632年)に40石2斗7升3合の寄進証文が残る。寛永11年(1634年)以降の造営では、藩から作事奉行や大工棟梁が派遣され、銀や材木の寄進が行われた。
明治初年には八幡宮の旧称を廃し、境内末社を合祭して八幡神社と改称した。大正6年(1917年)には西千田神社、武内神社、東堀神社、水濵神社を合併した。昭和41年(1966年)には日野川の河川改修に伴い移転した。
八幡神社には、県指定保護文化財の神像附神像3躯が伝わる。本殿内には平安時代後期から江戸時代に至る神像群、仏像、残欠、狛犬が伝存する。11躯の神像群のうち中核となる像は、10世紀末から11世紀前半頃の作とされる。例祭は9月15日である。古式人形流しが行われる。
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出典
公式サイト
https://www.yonago-hachiman.com/