有名度
前頭力侍神社
りきしじんじゃ
和歌山県和歌山市川辺字稲井61番地
和歌山県和歌山市川辺字稲井61番地

naginoha(wikipedia CC 表示-継承 3.0)
かんたんご利益
- 安全
- 厄除
- 家庭
力侍神社には
「安全系」「厄除・開運系」「家庭系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
想
交通安全 災難除け 方位除け 夫婦円満
御祭神
その他
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」 「白髭・猿田彦系」
です。他に 「不明(1柱)」
も考えられます。
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
力侍神社は和歌山県和歌山市に鎮座する神社。御祭神は手力男命、猿田彦命、その他の3柱をまつる。
社格は式内社(論社)であり、旧村社。
社伝では、力侍神社は当初、熊野本宮大社の旧社地である大斎原に鎮座していたと伝えられる。その後、平安時代中期に現在地の東北にあたる神波の桑畑へ遷座し、さらに神波の西に位置する上野の八王子神社の鎮座地へ移されたとされる。寛永3年(1626年)3月には、八王子神社とともに現在の川辺字稲井へ遷座した。以後、八王子神社は摂社として並び祀られ、川辺、楠本、島、神波の産土神とされた。
江戸時代には、境内に円鏡山山王院と称する神宮寺が置かれていた。明治6年(1873年)に村社へ列し、明治43年(1910年)には周辺の神社が合祀された。この合祀には、旧神波村に残されていた小祠のほか、九十九王子の中村王子旧跡とされる楠本神社、川辺王子跡とされる上野の八王子社が含まれている。
社殿については、力侍神社本殿および摂社八王子神社本殿の2棟が、昭和54年(1979年)6月9日に和歌山県指定有形文化財(建造物)に指定されている。両本殿は南面して並び、ほぼ同規模の一間社流造で、屋根はいずれもこけら葺である。修理の際に発見された棟札により、力侍神社本殿は寛永11年(1634年)、八王子神社本殿は寛永元年(1624年)の建立であることが確認されている。また、境内は九十九王子の一つである川辺王子跡として、和歌山県の史跡に指定されている。
社格は式内社(論社)であり、旧村社。
社伝では、力侍神社は当初、熊野本宮大社の旧社地である大斎原に鎮座していたと伝えられる。その後、平安時代中期に現在地の東北にあたる神波の桑畑へ遷座し、さらに神波の西に位置する上野の八王子神社の鎮座地へ移されたとされる。寛永3年(1626年)3月には、八王子神社とともに現在の川辺字稲井へ遷座した。以後、八王子神社は摂社として並び祀られ、川辺、楠本、島、神波の産土神とされた。
江戸時代には、境内に円鏡山山王院と称する神宮寺が置かれていた。明治6年(1873年)に村社へ列し、明治43年(1910年)には周辺の神社が合祀された。この合祀には、旧神波村に残されていた小祠のほか、九十九王子の中村王子旧跡とされる楠本神社、川辺王子跡とされる上野の八王子社が含まれている。
社殿については、力侍神社本殿および摂社八王子神社本殿の2棟が、昭和54年(1979年)6月9日に和歌山県指定有形文化財(建造物)に指定されている。両本殿は南面して並び、ほぼ同規模の一間社流造で、屋根はいずれもこけら葺である。修理の際に発見された棟札により、力侍神社本殿は寛永11年(1634年)、八王子神社本殿は寛永元年(1624年)の建立であることが確認されている。また、境内は九十九王子の一つである川辺王子跡として、和歌山県の史跡に指定されている。
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神社詳細
摂末社・境内社
情報募集
例祭
情報募集
文化財
情報募集
建築
本殿 一間社流造杮葺
神紋
情報募集
出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E4%BE%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9B%E4%BE%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE
和歌山県神社庁
https://wakayama-jinjacho.or.jp/
