丹生川上神社下社 - 神社ファン

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小結

丹生川上神社下社

にうかわかみじんじゃしもしゃ

奈良県吉野郡下市町長谷1-1

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奈良県吉野郡下市町長谷1-1

鳥居と拝殿

masaatsu yoshihara(wikipedia CC 表示-継承 3.0)

奈良・下市町に鎮座する丹生川上神社下社は、水の神を祀る丹生川上信仰を今に伝える由緒ある神社です。祈雨には黒馬、止雨には白馬を奉る信仰に基づき、境内では白馬と黒馬が実際に大切に飼われています。牛石・蛙石・産霊石といった霊石群に加え、拝殿から本殿へと続く全国的にも珍しい75段の屋根付き木製階段も大きな見どころの神社です。

丹生川上神社下社以外にも 丹生大明神 とも呼ばれます。


かんたんご利益

  • 恋愛
  • 仕事
  • 子供
  • 安全
丹生川上神社下社には

「恋愛系」「仕事系」「子供系」「安全系」

のご利益があります。
※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。

ご利益

庁

商売繁盛 止雨 治水 潅漑 祈雨 縁結び 舟運 酒造

御祭神

闇靇神 くらおかみのかみ

神社系統

主な系統
※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。

由緒・歴史 | 特徴

丹生川上神社は奈良県吉野郡東吉野村にある神社。罔象女神を主祭神とする。
社格は式内社(名神大社)で二十二社(下八社)のひとつ。旧官幣大社で、現在は別表神社。
古くから水をつかさどる神として崇敬され、「雨師明神」とも称された。江戸時代には「蟻通明神」と呼ばれていた。丹生川上神社には別に上社と下社があるため、当社は一般に「中社」とも称される。現在は三社がそれぞれ独立した神社となっており、当社の正式な社名は「丹生川上神社」である。
鎮座地周辺は神武天皇の東征伝承とも深く結びついている。『日本書紀』には、神武天皇が大和入りを目指して吉野へ進んだ際、天香具山の土を用いて平瓮や厳瓮を造らせ、丹生川上で天神地祇をまつって戦勝を占ったことが記されている。丹生川上の地が古くから神聖な祭祀の場と考えられていたことを伝える説話である。
社伝によると、天武天皇4年(675)に「人声の聞こえない深山の吉野丹生川上に宮柱を立ててまつれば、甘雨を降らせ、長雨を止める」との神託があり、これに従って社殿を造営したことを創祀とする。以来、水や雨をつかさどる神として朝廷から篤く崇敬され、国家的な雨乞いや止雨の祈願が行われる神社となった。
『続日本紀』には天平宝字7年(763)、雨乞いのため丹生川上神へ黒馬を奉ったことが記されている。後には雨を願う際には黒馬、長雨を止める際には白馬や赤馬を奉納することが慣例となった。宝亀6年(775)にも長雨を止めるための奉幣が行われるなど、古代から水をつかさどる神として国家の農耕祭祀に重要な役割を果たした。
延長5年(927)成立の『延喜式神名帳』では名神大社に列し、平安時代中期以降は朝廷か丹生川上神社下社は奈良県吉野郡下市町にある神社。闇龗神を主祭神とする。
社格は式内社(名神大社)で二十二社(下八社)の論社。旧官幣大社で、現在は別表神社。
丹生川上神社を構成する三社のうち下社にあたり、古くは「丹生大明神」と称された。闇龗神は谷間を流れる水や雨をつかさどる神とされ、古くから祈雨・止雨の神として信仰されてきた。現在は上社・中社とはそれぞれ独立した神社となっている。
創建年代や詳しい経緯は明らかではない。伝承では、洪水によって流れ着いた丹生社の鳥居を神体としてまつったことを起源とするという。背後にそびえる丹生山の山頂には古い祭祀の跡とも考えられる石群があり、周辺には多くの井戸が存在したことなどから、この地では古くから水に関わる信仰が営まれていたと考えられている。
古代に朝廷から篤く崇敬された丹生川上神社は、中世以降に祭祀が衰え、やがて本来の鎮座地が分からなくなった。江戸時代になるとその所在地について研究が進み、当時「丹生大明神」と呼ばれていた当社を古代の丹生川上神社とする説が有力となった。
丹生川上神社として認識されるようになると朝廷からの崇敬も復興し、雨乞いや止雨などの祈願が行われた。嘉永6年(1853)のペリー来航に際しては孝明天皇の宣旨によって国家安泰が祈願され、翌年には攘夷の祈願が行われるなど、幕末には国家的な祈願の場ともなった。
文久3年(1863)には天誅組の変に伴う戦火に巻き込まれた。当社の社家から天誅組に加わった者がいたことから討伐軍の兵火を受けたと伝えられ、本殿が損傷し、拝殿などの建物を焼失した。
明治時代に入ると、古代の丹生川上神社の所在地をめぐる考証が改めて進められた。当初は川上村の高龗神社を本来の鎮座地とする説が唱えられ、同社を「奥の宮」、当社を「口の宮」とする位置づけも行われた。明治4年(1871)には官幣大社に列格した。
明治29年(1896)には川上村の神社が丹生川上神社上社とされ、当社は下社に位置づけられた。さらに大正時代になると、東吉野村の蟻通神社を古代の丹生川上神社とする説が有力となり、大正11年(1922)に同社が中社として加えられた。これによって上社・中社・下社からなる官幣大社丹生川上神社の形が整えられ、当社の祭神も高龗神から闇龗神へ改められた。戦後の神社制度の変更によって三社はそれぞれ独立し、当社は現在の丹生川上神社下社となった。
現在の本殿は明治18年(1885)に修築された三間社流造の社殿で、丹生山の斜面に鎮座する。拝殿は明治34年(1901)に再建されたもので、拝殿から山上の本殿へ向かって木造の屋根に覆われた75段の階段が延びている。
この階段は「きざはし」と呼ばれ、丹生川上神社下社を象徴する景観となっている。通常は立ち入ることができないが、例祭など限られた機会に登ることが許され、本殿へと続く神聖な参道として大切に守られている。
丹生川上神社では古くから、雨乞いには黒馬、長雨を止める祈願には白馬を奉納する習わしがあった。生きた馬を奉納することが難しくなると馬を描いた板を代わりに奉納するようになり、絵馬の起源のひとつともいわれている。
この神馬奉納の伝統は中世に途絶えていたが、平成24年(2012)に神馬献上祭が復興された。現在も境内では白馬と黒馬が神馬として大切に飼育され、古代以来の祈雨・止雨の信仰を目に見える形で伝えている。
丹生川上神社下社は、水の神である闇龗神をまつり、古代の丹生川上神社をめぐる長い考証の歴史を経て現在の姿となった。丹生山へ続く「きざはし」や白黒の神馬など、水を鎮め、恵みの雨を願ってきた丹生川上信仰を現在に伝える神社である。
  • 別表神社
  • 二十二社(下七社)
  • 官幣大社
  • 名神大社(論社)
  • 祈雨神祭八十五座(大和国)
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神社詳細

摂末社・境内社

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例祭

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文化財

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建築

本殿 三間社流造銅板葺

神紋

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出典
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%9F%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E4%B8%8B%E7%A4%BE
奈良県神社庁
https://www.naraken-jinjacho.jp/
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年