有名度
前頭上位梨木神社
なしのきじんじゃ
京都府京都市上京区寺町通広小路上る染殿町680
京都府京都市上京区寺町通広小路上る染殿町680

Kumano3(wikipedia パブリック・ドメイン)
梨木神社以外にも 萩の宮 とも呼ばれます。
かんたんご利益
- 恋愛
- 健康
- 学業
梨木神社には
「恋愛系」「健康系」「学業・技芸系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
学問の神 文芸の神
御祭神
主祭神
三條實萬公 さんじょうさねつむこう
主祭神
三條實美公 さんじょうさねとみこう
神社系統
この神社の主な系統は
「不明(1柱)」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
梨木神社は京都府京都市上京区に鎮座する神社。御祭神は三條實萬公、三條實美公の2柱をまつる。
社格は旧別格官幣社。
梨木神社が鎮座する京都御所東側一帯には、明治時代まで公家屋敷が並んでいた。三條家嫡流の邸である転法輪殿は旧梨木町の西側にあり、京都御所との間を通る梨木通りは、公卿が朝夕に参内する道として利用されていた。神社名は旧地名の梨木町から採られた。
三條實萬は幼少から和漢の学を修め、朝廷の古実礼典にも通じた。嘉永元年(1848)に武家伝奏となり、安政4年(1857)には内大臣に就任した。安政5年(1858)、日米修好通商条約の勅許問題では条約勅許に反対し、将軍継嗣問題では一橋慶喜の擁立に動いた。その後、安政の大獄による処分を受け、安政6年(1859)に落飾して一乗寺に幽棲し、同年10月6日に薨去した。明治2年(1869)、明治天皇から忠成公の諡号を贈られた。
明治17年(1884)、久邇宮朝彦親王の発議によって三條實萬を祀る神社の創建が進められた。社地には三條家の邸宅跡が選ばれ、翌明治18年(1885)10月6日に社殿が造営され、梨木神社が創建された。創建時には本殿、社務所、仮拝殿、仮手水所が建てられ、明治20年(1887)から明治22年(1889)にかけて幣殿、祝詞舎、拝殿、神庫が整備された。
三條實美は父・實萬の死後も朝廷で活動を続け、文久3年(1863)の政変で京都を離れ、七卿落ちによって長州へ移り、のちに筑前へ移った。明治維新後は明治4年(1871)に太政大臣となり、明治18年(1885)の内閣制度発足後は内大臣を務めた。明治24年(1891)に薨去し、大正4年(1915)、大正天皇の即位にあたり、父・實萬を祀る梨木神社へ第2座の祭神として合祀された。
大正4年(1915)には境内に能舞台が建てられ、京都御所から旧茶室が移築された。昭和10年(1935)には神門、神饌所、社務所などが整備された。
境内の「染井の水」は、醒ヶ井、県井とともに京の三名水に数えられる井戸である。境内には約500株の萩が植えられ、梨木神社は「萩の宮」とも称される。9月下旬頃には萩まつりが行われ、弓術、居合、舞踊、邦楽などが奉納される。
境内には上田秋成や湯川秀樹の歌碑、三條實萬が記した文言を刻む「天壌無窮の石碑」が建つ。例大祭は10月10日に斎行される。
社格は旧別格官幣社。
梨木神社が鎮座する京都御所東側一帯には、明治時代まで公家屋敷が並んでいた。三條家嫡流の邸である転法輪殿は旧梨木町の西側にあり、京都御所との間を通る梨木通りは、公卿が朝夕に参内する道として利用されていた。神社名は旧地名の梨木町から採られた。
三條實萬は幼少から和漢の学を修め、朝廷の古実礼典にも通じた。嘉永元年(1848)に武家伝奏となり、安政4年(1857)には内大臣に就任した。安政5年(1858)、日米修好通商条約の勅許問題では条約勅許に反対し、将軍継嗣問題では一橋慶喜の擁立に動いた。その後、安政の大獄による処分を受け、安政6年(1859)に落飾して一乗寺に幽棲し、同年10月6日に薨去した。明治2年(1869)、明治天皇から忠成公の諡号を贈られた。
明治17年(1884)、久邇宮朝彦親王の発議によって三條實萬を祀る神社の創建が進められた。社地には三條家の邸宅跡が選ばれ、翌明治18年(1885)10月6日に社殿が造営され、梨木神社が創建された。創建時には本殿、社務所、仮拝殿、仮手水所が建てられ、明治20年(1887)から明治22年(1889)にかけて幣殿、祝詞舎、拝殿、神庫が整備された。
三條實美は父・實萬の死後も朝廷で活動を続け、文久3年(1863)の政変で京都を離れ、七卿落ちによって長州へ移り、のちに筑前へ移った。明治維新後は明治4年(1871)に太政大臣となり、明治18年(1885)の内閣制度発足後は内大臣を務めた。明治24年(1891)に薨去し、大正4年(1915)、大正天皇の即位にあたり、父・實萬を祀る梨木神社へ第2座の祭神として合祀された。
大正4年(1915)には境内に能舞台が建てられ、京都御所から旧茶室が移築された。昭和10年(1935)には神門、神饌所、社務所などが整備された。
境内の「染井の水」は、醒ヶ井、県井とともに京の三名水に数えられる井戸である。境内には約500株の萩が植えられ、梨木神社は「萩の宮」とも称される。9月下旬頃には萩まつりが行われ、弓術、居合、舞踊、邦楽などが奉納される。
境内には上田秋成や湯川秀樹の歌碑、三條實萬が記した文言を刻む「天壌無窮の石碑」が建つ。例大祭は10月10日に斎行される。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
情報募集
例祭
月次祭 毎月1日・15日
元服式 1月最終日曜(または2月第一日曜)
春季例祭 4月18日
萩祭り 9月中旬~下旬
秋季例祭 10月10日
七五三 10月最終日曜
元服式 1月最終日曜(または2月第一日曜)
春季例祭 4月18日
萩祭り 9月中旬~下旬
秋季例祭 10月10日
七五三 10月最終日曜
文化財
情報募集
建築
情報募集
神紋
情報募集
出典
公式サイト
http://nashinoki.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%A8%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年
http://nashinoki.jp/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%A8%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE
[書籍]ご利益めぐり全国神社誌
巖谷小波・神社神徳研究会、展望社、1997年
