三条実美
さんじょうさねとみ
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 公卿
江戸~明治 [1837年~1891年]
三条実美とは?
三条実美(1837-1891)は江戸時代末期~明治時代の公卿。父親は正一位右大臣三条実万、母親は土佐藩主山内豊策の娘紀子である。三条家は五摂家に次ぐ九清華の名家である。父実万は安政の大獄により弾圧を受け辞官落飾となり死去。実美はその意志を継ぎ次第に尊王攘夷思想に傾いてゆく。攘夷派公卿の中心的存在となった実美は公武合体を推進する岩倉具視を弾劾、江戸に自ら赴き幕府に攘夷の決行を迫る。しかし翌年には薩摩藩を始めとした公武合体派の策謀により京から逃長州にげ落ちることになる。世にいう「七卿落ち」である。その後、大宰府で明治維新を迎えると岩倉と共に新政府の副総裁に就任。王政復古への功績が認められ5000石を賜り、太政大臣を拝命する。新政府では征韓論を巡って対立する西郷隆盛と大久保利通との間で板挟みとなり、病と称して職責は岩倉に譲ることになる。公卿としての地位は最後の太政大臣とも言われ確固たるものであったが、元来気弱であり決断力に賭ける性格であったために実美を支持する者は少なかった。政治の第一線から退いた後は侯爵の爵位を賜り社交界のまとめ役として一定の働きを見せた。 実美は京都府京都市上京区にある梨木神社に祭神として祀られている。梨木神社は三条家の館跡に建立された神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
