摂社 護王社 | 梅宮大社 - 神社ファン

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小結

梅宮大社

うめのみやたいしゃ

京都府京都市右京区梅津フケノ川町30

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摂社 護王社

更新日:2026年8月9日

学業向上のご利益で知られる護王社

護王社は、梅宮大社の摂社で、本殿の左側に鎮座しています。若宮社と同じく瑞垣に囲まれた神聖な場所にあるため、通常の参拝では社殿の近くまで立ち入ることはできません。参拝は瑞垣の外側に設けられた拝所から行い、賽銭箱と鈴を前に静かに手を合わせます。本殿への参拝後にあわせてお参りする人も多く、梅宮大社と橘氏の歴史を今に伝える重要な摂社です。
護王社 拝所

護王社の祭神

護王社には、橘氏公公(たちばなのうじぎみこう)と橘逸勢公(たちばなのはやなりこう)の二柱が祀られています。
橘氏公は、本殿相殿に祀られる橘嘉智子(檀林皇后)の兄で、嵯峨天皇に仕えた右大臣です。また、橘氏の大学別曹である「学館院」を創建した人物としても知られています。学館院は橘氏一族の子弟が学問を学ぶ教育機関で、現在の学校にあたる存在でした。その功績から、学問の振興に尽くした人物として高く評価されています。
護王社 社殿
橘逸勢公は、檀林皇后の従兄弟にあたり、遣唐使として空海とともに唐へ渡った能書家です。嵯峨天皇、弘法大師空海とともに「三筆」の一人に数えられ、その優れた書は後の日本書道にも大きな影響を与えました。橘氏公が学問を、橘逸勢公が書の文化を代表する人物であることから、護王社は学業成就や学力向上、資格試験合格、書道上達などのご利益で広く信仰されています。
現在の社殿は、1698年(元禄11年)の火災で焼失した後、5代将軍・徳川綱吉の命により1700年(元禄13年)に再建されました。一間春日造、檜皮葺の優美な社殿で、若宮社とともに京都府登録有形文化財に指定されています。小ぶりながら均整の取れた美しい社殿は、江戸時代の神社建築を今に伝える貴重な文化財であり、本殿とは異なる趣を楽しむことができます。
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影向石

護王社の左側には、「影向石(ようごうせき)」と呼ばれる三つの石があります。別名「三石」とも呼ばれ、熊野から飛来した三羽の烏が梅宮大社へ舞い降り、そのまま石になったという不思議な伝承が残されています。古くから神が姿を現した霊石として大切に守られてきた場所であり、境内の中でも神秘的な雰囲気が漂います。
影向石
現在は木々の葉が生い茂る時期には見つけにくいこともありますが、護王社へ参拝した際にはぜひ探してみたい見どころです。子授けや酒造守護で知られる梅宮大社ですが、護王社は橘氏が大切にしてきた学問や文化を今に伝える社でもあります。本殿だけでなく護王社にも手を合わせることで、梅宮大社が受け継いできた歴史や信仰をより深く感じることができるでしょう。

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