有名度
関脇石清水八幡宮
いわしみずはちまんぐう
京都府八幡市八幡高坊30
国宝の社殿と御祭神・ご利益
更新日:2026年7月15日
国宝に指定された石清水八幡宮の本殿
石清水八幡宮の本社は、平安時代の貞観2年(860年)の創建以来、幾度もの火災や戦乱、修理を経て現在まで受け継がれてきました。現在の社殿は寛永11年(1634年)に徳川家光の命によって造営されたもので、平成の大修理を経て鮮やかな極彩色の姿がよみがえっています。


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左甚五郎一派と伝わる華麗な彫刻
国宝の本殿を囲む瑞垣には、150点を超える精巧な彫刻が施されています。これらは江戸時代の名工・左甚五郎一派の作と伝えられ、石清水八幡宮を代表する芸術作品として知られています。なかでも有名なのが「目抜きの猿」と「カマキリ」の欄間彫刻です。「目抜きの猿」は、琵琶の実を食べる猿があまりにも精巧に彫られていたため、夜になると社殿を抜け出して里へ悪さをしていたという伝説が残されています。そのため、猿が抜け出せないよう右目へ八幡竹を打ち込んだという逸話が語り継がれています。


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織田信長が寄進した雨樋
本殿の内殿と外殿の間には、「黄金の雨樋」と呼ばれる美しい銅製の雨樋があります。これは天正8年(1580年)、織田信長が寄進したものと伝えられています。信長は山崎の戦い以前から男山一帯を重要な戦略拠点と考え、石清水八幡宮を篤く崇敬していました。大山崎の宝積寺を訪れた際、本殿の木製の雨樋が傷んでいることを知り、新たな雨樋を寄進したと伝えられています。全長約22m、幅約60cmにも及ぶ壮大な造りで、金箔が施された豪華な姿は石清水八幡宮を代表する文化財の一つです。
金箔が施された理由については、社殿が災害などで被害を受けた際、金を修復資金として活用できるよう配慮したという伝承も残されています。
また、織田信長が寄進した遺構は黄金の雨樋だけではありません。本殿を囲む透塀の一部は「信長塀」と呼ばれ、黄金の雨樋とともに現在まで大切に受け継がれています。その後も豊臣秀吉が回廊を整備し、豊臣秀頼が本殿の修築を行うなど、多くの天下人が石清水八幡宮を篤く崇敬しました。徳川家康も社領の保護や検地の免除を行い、石清水八幡宮の維持・発展に大きく貢献しています。

御祭神・ご利益
石清水八幡宮には、中御前に応神天皇、西御前に比咩大神、東御前に神功皇后の三柱が祀られ、総称して「八幡大神」と称されています。比咩大神は宗像三女神とされることが一般的で、古くから八幡信仰の中心として崇敬されてきました。石清水八幡宮は、宇佐神宮、筥崎宮と並ぶ日本三大八幡宮の一つに数えられ、皇室をはじめ源氏、足利氏、織田信長、豊臣秀吉、徳川家など、歴代の武家から篤い崇敬を受けてきました。
現在も国家鎮護の神として広く信仰されるほか、厄除開運、必勝祈願、勝運、家内安全、交通安全、安産、健康長寿など幅広い御利益で知られています。とりわけ「厄除開運」と「必勝祈願」は石清水八幡宮を代表する御神徳として、多くの参拝者が全国から訪れています。

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