泉坊・松花堂跡 | 石清水八幡宮 - 神社ファン

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関脇

石清水八幡宮

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京都府八幡市八幡高坊30

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泉坊・松花堂跡

更新日:2026年7月15日

松花堂弁当のルーツとなった宿坊跡

二ノ鳥居から表参道を進み、大扉稲荷社がある影清塚の分岐を右へ進むと、「泉坊・松花堂跡」があります。1957年(昭和32年)に国の史跡に指定された場所で、「松花堂弁当」の名前の由来となった松花堂昭乗ゆかりの史跡として知られています。
泉坊・松花堂跡の石碑と看板
泉坊は、江戸時代に石清水八幡宮の社僧・瀧本坊に属する宿坊の一つでした。ここは「寛永の三筆」の一人として知られる松花堂昭乗が晩年を過ごした場所であり、昭乗は石清水八幡宮一ノ鳥居の扁額を現在に伝わる形で書き写した人物としても知られています。
現在の泉坊は寛永14年(1637年)に建てられたもので、昭乗は書院の奥に「松花堂」と名付けた茶室を造営しました。茶室は風雅を愛した昭乗の文化活動の拠点となり、多くの文人や茶人が集う場として栄えました。明治時代になると、書院と茶室は現在の松花堂庭園へ移築され、現在は「松花堂庭園・美術館」として大切に保存・公開されています。
泉坊・松花堂跡地
松花堂昭乗は独自の「瀧本流」「松花堂流」と呼ばれる書風を確立し、書・絵画・茶道に優れた文化人として活躍しました。昭乗が催した茶会には、小堀遠州や沢庵宗彭をはじめとする当時を代表する文化人が集まり、そこで用いられた茶道具は「八幡名物」として高く評価されました。現在も、そのゆかりの品々は松花堂庭園・美術館で見ることができます。
「松花堂弁当」は、昭乗が絵具や筆などの道具を整理するために愛用していた、十字に仕切られた箱がルーツとされています。大正時代以降、この箱が法要などの会食用の器として用いられるようになり、昭和初期には京都の名料亭「吉兆」の創業者・湯木貞一が料理を盛り付ける器として採用したことで、現在の「松花堂弁当」が誕生しました。
松花堂弁当663highland(Wikipedia CC 表示 2.5)
現在は、移築された書院や茶室を松花堂庭園・美術館で見学できるほか、敷地内の「吉兆 松花堂店」では、庭園を眺めながら本場の松花堂弁当を味わうことができます。石清水八幡宮の歴史だけでなく、日本の食文化や茶の湯の歴史にも触れられる、ぜひ訪れたい見どころの一つです。

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