末社 大扉稲荷社 | 石清水八幡宮 - 神社ファン

有名度

関脇

石清水八幡宮

いわしみずはちまんぐう

京都府八幡市八幡高坊30

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末社 大扉稲荷社

更新日:2026年7月15日

宝くじのご利益で親しまれる「お扉さま」

二の鳥居をくぐり、表参道の名物である「七曲がり」と呼ばれる九十九折りの坂道を約10分ほど登ると、表参道と裏参道の分岐点にある「影清塚」に着きます。その左手に鎮座するのが、石清水八幡宮の末社「大扉稲荷社(おおとびらいなりしゃ)」です。朱色の鳥居と小さな社殿が印象的で、「お扉さま」の愛称で古くから親しまれています。
大扉稲荷社の鳥居と社殿
創建年代は明らかではありませんが、文政12年(1829年)の棟札が残されており、少なくとも江戸時代後期には現在の社殿が存在していたことがわかっています。この地には、かつて狐が住む穴があり、柴草を刈りに訪れた人々へいたずらをしたため、小さな祠を建てて祀ったことが始まりという伝承も残されています。
江戸時代には富くじ(現在の宝くじ)が流行し、この稲荷社へ参拝した後に富くじが当たったという話が評判となり、多くの参拝者が訪れるようになりました。その信仰が広まったことで寄進が集まり、現在の社殿が整えられたとも伝えられています。
御祭神については現在も明確には伝わっていませんが、京都七条の高瀬川沿いで稲荷信仰や神降ろし、吉凶占いを行っていた石井巳之助が、「相槌稲荷の子、登毘良明神(とびらみょうじん)」という神託を受けたことから、「大扉稲荷社」の名で信仰されるようになったと伝えられています。
現在も「お扉さま」として広く親しまれ、金運向上や宝くじ当選を願う人々が全国から参拝に訪れる石清水八幡宮でも人気の末社の一つとなっています。

影清塚

大扉稲荷社のそばには「影清塚」があります。古くは石清水が湧く場所で、参拝者はこの清水に自らの姿を映し、不浄を洗い清めてから男山山頂の本殿へ向かったと伝えられています。石清水八幡宮の名の由来となった「石清水」とも深い関わりを持つ伝承の地です。また一説には、壇ノ浦の戦いの後、平家方の武将・藤原景清が、この場所で源頼朝の石清水八幡宮参詣を待ち伏せしようとしたという伝説も残されています。歴史と伝承が交差する場所として知られ、表参道を登る途中の見どころの一つとなっています。
影清塚

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