末社 大扉稲荷社 | 石清水八幡宮 - 神社ファン

有名度

関脇

石清水八幡宮

いわしみずはちまんぐう

京都府八幡市八幡高坊30

末社 大扉稲荷社

更新日:2025年5月19日

宝くじのご利益があるお扉さま

ニノ鳥居を潜って表参道の通称「七曲がり」と呼ばれるじぐざぐの道を10分程進むと表参道と裏参道の分岐点にある「影清塚」にぶつかります。その左手に石清水八幡宮の末社である大扉稲荷社(おおとびらいなりしゃ)があります。
大扉稲荷社の鳥居と社殿
朱色と鳥居と小さなお社が印象的です。元々このあたりには狐の住む穴があり、柴草を刈りに来る人々にいたずらをするので小祠を建てて崇めたとも伝えられてて、創建は書物では確認ができませんが、文政12(1829)年と建てられたと伝えられています。
江戸時代文政の頃、富くじ(今でいう宝くじ)が流行していて、この稲荷社に参拝したことによりご利益があったということが地域で伝わり、信者が増えてその寄進によって建立されたされます。
ご祭神も不明でしたが、京都七条の高瀬川傍で稲荷を信仰し、神降しや吉凶占いなど神告を業としていた石井巳之助が「相槌稲荷の子、登毘良明神(とびらみょうじん)」という神託を受け、今の名前になったと言われています。
大扉稲荷社は「お扉さま」と呼ばれて信仰され、江戸時代から現在も「宝くじに御利益がある神社」として、地域の人々より親しまれています。

影清塚

影清塚は石清水の下流にあたり、この清水に参拝者が影を映して不浄を洗い、心身を清めて本殿に向かったと言われています。
また一説には平家の藤原景清(悪七兵衛景清)が壇ノ浦の戦いで敗れた後に源頼朝の石清水八幡宮参詣を待ち伏せして暗殺を企てた場所とも言われています。
影清塚

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