城南宮独自の「城南鳥居」と東西の鳥居 | 城南宮 - 神社ファン

有名度

関脇

城南宮

じょうなんぐう

京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7

😞 🙁 😐 🙂 😄

城南宮独自の「城南鳥居」と東西の鳥居

更新日:2026年9月8日

城南宮独自の「城南鳥居」

拝殿前に建つ朱塗りの鳥居は、城南宮独自の形式を持つ「城南鳥居」です。神明鳥居を基にした鳥居で、笠木に屋根を設け、柱の下に「饅頭」と呼ばれる台座を備えているのが特徴です。島木の左右には菊の紋、中央には城南宮の神紋である「三光の御神紋」が掲げられています。
城南宮 城南鳥居
三光の御神紋は、太陽・月・星の3つの光を組み合わせた全国的にも珍しい神紋です。御祭神・神功皇后の御座船に掲げられていた旗印に由来すると伝えられ、太陽・月・星が昼夜を問わず光を放つように、城南宮の方除の御神徳がすみずみまで及ぶことを表しています。
城南宮 三光の御神紋
城南宮によれば、全国約8万社の神社のうち、三光の御神紋を使用する神社は城南宮以外に3社ほどしかないといいます。境内の三照宮社でも檜皮葺の屋根の棟に三光の紋を見ることができ、江戸時代の境内図には「三光社」と記されています。城南鳥居を参拝する際は、独特な鳥居の形だけでなく、中央に掲げられた希少な神紋にも注目です。
スポンサーリンク

「城南離宮」の扁額を掲げる東西の鳥居

境内入口となる参道の東西にも、それぞれ歴史ある鳥居が建っています。東の鳥居は1861(文久元)年、兵庫津の廻船問屋・北風氏によって寄進されました。北風氏は、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』にも登場する豪商として知られています。北風家には城南宮の氏子である竹田村の長谷川家から貞忠が養子に入っており、その御礼として氏神である城南宮へ鳥居を寄進したと考えられています。「城南離宮」と記された扁額は、有栖川宮幟仁親王の筆によるものです。
城南宮 東の鳥居

鳥羽伏見の戦いの舞台となった西の鳥居

西の鳥居も1861(文久元)年に氏子の寄進によって建立され、「城南離宮」の扁額は関白・九条尚忠の筆によります。「城南離宮」は白河上皇や鳥羽上皇が院政の拠点として営んだ鳥羽離宮の名称で、江戸時代には城南宮の社号のようにも用いられていました。
1868(慶応4)年1月3日に始まった鳥羽伏見の戦いでは、西の鳥居と鳥羽街道を結ぶ参道に薩摩軍が4門の大砲を据え、旧幕府軍を迎え撃ちました。現在も残る西の鳥居は、城南宮周辺が幕末の歴史を大きく動かした戦いの舞台となったことを伝えています。
城南宮 西の鳥居

この記事を0人の方がいいねといっています



スポンサーリンク

城南宮の人気記事