国松・松の丸の供養塔 | 豊国神社 - 神社ファン

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豊国神社

とよくにじんじゃ

京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530

国松・松の丸の供養塔

更新日:2025年5月16日

並んで建つ国松と松の丸の供養塔

阿弥陀ヶ峰の山頂に秀吉のお墓である供養塔がありますが、その参道の西の麓に秀吉の孫の豊臣国松と、秀吉の側室の松の丸の供養塔があります。
国松は秀吉の孫であり、豊臣秀頼と側室の伊茶の間に生まれた男児です。1615年(慶長20年) 5月の大坂夏の陣の際に、秀頼の息子である国松も、乳母と共に城から逃げる途中に徳川方の捜索により捕らえられ、市中引き回しのあと京の六条河原で斬首されました。国松の亡くなった時の年齢は8歳だったと考えられています。
国松の供養塔Corpse Reviver(Wikipedia CC 表示-継承 3.0)
松の丸とは通称で、伏見城の松の丸に住んでいたことにより呼ばれていました。実名は京極高次の娘龍子。夫の武田元昭は山崎の合戦後に秀吉に殺され、その後秀吉の側室となります。1594年(文禄3年)より大坂城西丸に住み、西丸殿と呼ばれました。その後、伏見城に移ってからは松丸殿と呼ばれました。淀君の従姉妹であり、美人の誉れ高い松の丸は、秀吉の側室の中で淀君に次ぐ寵愛を受けていたと言われています。秀吉の死後は出家して寿芳院(じゅほういん)となり、1634年(寛永11年)に亡くなっています。
なぜ松の丸と国松の墓が並んでいるかというと、豊臣家滅亡後、斬首された国松の遺体を引き取り、京都寺町の誓願寺に埋葬したのが松の丸だったそうです。誓願寺にあった松の丸と国松のお墓は、1911年(明治44年)に豊臣家ゆかりの地であるこの地に改装されました。供養塔の横には、改装の経緯も書かれており、松の丸が義理に厚い人と尊敬されていることが伺えます。

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