方広寺の鐘 | 豊国神社 - 神社ファン

有名度

関脇

豊国神社

とよくにじんじゃ

京都府京都市東山区大和大路正面茶屋町530

方広寺の鐘

更新日:2025年5月16日

大阪冬の陣のきっかけとなる「国家安康」の鐘

方広寺は、豊国神社末社である槇本稲荷神社左側に鎮座するお寺です。創建は1595年(文禄4年)、豊臣秀吉が天下統一をされた際に大仏殿の建立と共に建てられました。
方広寺の鐘 社殿
その後火災などにより焼失などがあり、秀吉の亡くなった後、1612年(慶長17年)に息子秀頼により再建されました。その後大仏殿と大仏は1798年(寛政10年)に落雷により焼失し、一時再建されましたが、また焼失となり、現在建設当時のものが残るのが鐘楼と石塔だけになっています。
方広寺の鐘
梵鐘は、1612年(慶長17年)京都三条釜座(さんじょうかまんざ)鋳物師の名越三昌(なごしさんしょう)らにより製作されました。名越家は幕末まで栄えた鋳物師です。鐘の高さが4.2メートル、外径2.8メートル、重さ82.7トンと大きく、奈良の東大寺・京都の知恩院と共に、日本三釣鐘として国の重要文化財に指定されています。

方広寺鐘銘事件

方広寺と言えば、大阪冬の陣のきっかけとなる鐘「国家安康」の文字が刻まれた鐘として有名です。方広寺大仏殿完成後に落慶供養を行う予定でしたが、徳川家康が鐘に刻まれている銘文、「国家安康」が家康の名前を分断し、「君臣豊楽」が豊臣を君主とするもので不快であると難癖をつけ、これが大坂冬の陣のきっかけの一つとなったと言われています。現在も「国家安康」と「君臣豊楽」の文字がくっきり見えます。
国家安康と君臣豊楽
鐘が吊るされている上には、極楽浄土に住む迦陵嚬伽(かりょうびんか)という上半身が人間、下半身が鳥という仏教における想像上の生物描いた美しい天井画があります。
迦陵嚬伽
その他にも、鐘楼内には、方広寺大仏殿遺物の大仏殿に吊るされていた銅製の風鐸(ふうたく)を初めとする9点が残されています。方広寺の鐘楼は豊臣家の遺産である歴史的記録が無料で見学できる貴重な場所です。

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