摂社 疫神社 | 八坂神社 - 神社ファン

有名度

横綱

八坂神社

やさかじんじゃ

京都府京都市東山区祇園町北側625

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摂社 疫神社

更新日:2026年7月11日

疫病退散を祈る八坂神社の摂社

本殿の西側、西楼門の正面に鎮座するのが疫神社(えきじんじゃ)です。八坂神社の摂社の一つで、古くから疫病退散を祈るお社として篤く信仰されてきました。西楼門から境内へ入ると最初に目にするお社でもあり、八坂神社の歴史や祇園信仰を語るうえで欠かせない存在です。創建年代は明らかではありません。かつては絵馬堂付近に鎮座していましたが、1913年(大正2年)に現在の場所へ遷座されました。
疫神社の鳥居と社殿
社殿は一間社流造で、左右両側面と背面に庇を備え、正面には唐破風造の拝所が設けられています。屋根は銅板葺で、社殿前には「疫神社」と直接刻まれた珍しい石鳥居が建っています。一般的な鳥居のように扁額を掲げるのではなく、柱に社名が刻まれているのが特徴です。社殿は2020年(令和2年)12月、国の重要文化財に指定されました。
疫神社の扁額
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蘇民将来伝説

疫神社の御祭神は蘇民将来(そみんしょうらい)です。
蘇民将来は『備後国風土記』逸文に登場する人物として知られています。旅の途中だった武塔神(後に素戔嗚尊と同一視される神)は、一夜の宿を求めて兄弟のもとを訪れました。裕福な弟・巨旦将来は宿泊を断りましたが、貧しい兄・蘇民将来は粗末ながらも温かくもてなしました。
後年、武塔神は再び現れ、自らが素戔嗚尊であることを明かします。そして蘇民将来の一家には茅の輪を授け、「疫病が流行した際には『蘇民将来の子孫』と名乗り、この茅の輪を身に着ければ災いから守られる」と告げました。一方、宿を断った巨旦将来の一族は滅ぼされたと伝えられています。
この伝説は全国各地に伝わる茅の輪くぐりや「蘇民将来子孫也」と書かれた護符の起源ともされ、現在まで疫病退散の信仰として受け継がれています。
八坂神社 疫神社の茅の輪くぐり

祇園祭とも深く結び付くお社

八坂神社は古くから疫病を鎮める祇園信仰の中心として発展してきました。毎年7月に行われる祇園祭も、平安時代に疫病退散を願って始まった御霊会を起源としています。
疫神社は、その祇園信仰を象徴するお社であり、八坂神社を参拝するならぜひ立ち寄りたい場所の一つです。
例祭は毎年1月19日に執り行われます。また、7月31日の疫神社夏越祭では、鳥居に設けられた大茅の輪をくぐり、「蘇民将来子孫也」と記された護符や粟餅が授与されます。現在も多くの参拝者が無病息災を願って参拝する、八坂神社を代表する信仰の場となっています。
御朱印は八坂神社本殿横の授与所で書き置きを受けることができます。
疫神社 社殿

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