国宝に指定された祇園造の本殿・御祭神・ご利益 | 八坂神社 - 神社ファン

有名度

横綱

八坂神社

やさかじんじゃ

京都府京都市東山区祇園町北側625

😞 🙁 😐 🙂 😄

国宝に指定された祇園造の本殿・御祭神・ご利益

更新日:2026年7月11日

国宝建築の本殿

南楼門、舞殿を抜けた表参道の正面に鎮座するのが八坂神社の本殿です。檜皮葺の大屋根が境内を覆うように広がる姿は圧巻で、八坂神社を象徴する建築として多くの参拝者を魅了しています。南楼門、舞殿、本殿が一直線に並ぶ美しい景観は八坂神社ならではであり、正門から参拝すると、その壮大な建築美をより深く感じることができます。
本殿 正面
本殿の創建年代は明らかではありませんが、平安時代にはすでに社殿が存在していたと考えられています。現在の本殿は1646年(正保3年)の火災で焼失した後、江戸幕府4代将軍・徳川家綱の命により1654年(承応3年)に再建されたものです。その後も大切に守り継がれ、近年では2002年(平成14年)に保存修理が行われました。長い歴史を受け継ぐ社殿は、その優れた建築的価値が評価され、2020年(令和2年)12月に国宝へ指定されています。
本殿 全体
八坂神社本殿最大の特徴は、「祇園造(ぎおんづくり)」または「八坂造(やさかづくり)」と呼ばれる全国でも類例の少ない建築様式です。一般的な神社では本殿と拝殿は別々に建てられますが、八坂神社では檜皮葺の巨大な屋根の下で一体となっています。さらに北・東・西の三方へ庇が張り出し、建物全体を包み込むような壮大な姿をつくり出しています。
本殿 斜め後ろ
総面積は約662平方メートルに及び、神社本殿建築としては日本最大級の規模を誇ります。この独特の建築様式は京都御所の紫宸殿を模したとも伝えられ、平安時代の社殿形式を受け継ぎながら、鎌倉時代に成立した現在の様式が今日まで継承されています。全国を見渡しても同じ形式の神社はほとんどなく、八坂神社を代表する最大の見どころとなっています。
本殿の高さは約15メートルで、南楼門や舞殿とほぼ同じ高さに揃えられています。表参道から眺めると、南楼門・舞殿・本殿が一直線に並び、均整の取れた美しい軸線を描きます。この景観は八坂神社ならではの魅力であり、正門から参拝した人だけが味わえる特別な眺めでもあります。
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透塀と神饌所

本殿の東側には神饌所を囲む透塀(すいべい)が建っています。透塀は明治時代中期の建立とされ、素木造・檜皮葺の落ち着いた佇まいが特徴です。
透塀
柱や蟇股には繊細な唐草模様の彫刻が施されており、華やかな本殿とは対照的な上品な美しさを見ることができます。細部まで丁寧に造り込まれた職人の技にもぜひ注目してみてください。
透塀アップ

御祭神・ご利益

八坂神社には、主祭神である素戔嗚尊をはじめ、その妃である櫛稲田姫命、子どもである八柱御子神、さらに櫛稲田姫命の父母神が祀られています。家族の神々がそろって祀られている全国でも珍しい祭神構成であることから、家内安全や夫婦円満、子孫繁栄のご利益でも広く信仰されています。
また、八坂神社は明治時代以前には「祇園社」「祇園感神院」と呼ばれ、牛頭天王を祀る祇園信仰の中心でした。疫病や災厄を鎮める信仰から発展した歴史を持ち、現在も厄除け・災難除けの神社として全国から多くの参拝者が訪れています。毎年7月に行われる祇園祭も、疫病退散を願う御霊会を起源としており、現在まで続く八坂神社の信仰を象徴する祭礼です。
牛頭天王ウィキ太郎(Wikipedia パブリック・ドメイン)

日本最古の和歌を伝える御神詠歌碑

主祭神・素戔嗚尊は、日本で初めて和歌を詠んだ神としても知られています。櫛稲田姫命との結婚を喜び詠んだ

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

は、『古事記』『日本書紀』にも記される日本最古の和歌として広く知られています。本殿裏には、この和歌を刻んだ御神詠歌碑が2019年、祇園祭1150年を記念して清々講社より奉納されました。あわせて訪れることで、素戔嗚尊ゆかりの歴史や文化にも触れることができます。
なお、本殿には地下に青龍が住むと伝わる「龍穴」や、柏手を打つと龍が鳴いているように聞こえると伝わる「龍吼」など、龍にまつわる興味深い伝承も残されています。これらは八坂神社七不思議にも数えられる人気の見どころで、別の記事で詳しく紹介しています。

素戔嗚尊の歌碑

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