神馬像・北白川房子様歌碑・森寿和子歌碑 | 真清田神社 - 神社ファン

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真清田神社

ますみだじんじゃ

愛知県一宮市真清田1丁目2−1

神馬像・北白川房子様歌碑・森寿和子歌碑

更新日:2026年3月23日

神馬像

真清田神社の境内にある神馬像は、拝殿東側に位置する見どころの一つで、堂々とした姿で参拝者を迎えます。
この躍動感のあるブロンズ像は、皇居二重橋の装飾や宮殿屋上の瑞鳥などを手掛けた彫刻家・米治一氏によって制作されたもので、1972年(昭和47年)の御鎮座2600年記念大祭を記念し、「真清田神社農業奉賛会」より奉納されました。
神社における神馬は、神様の乗り物とされる特別な存在であり、古くは実際の馬を神前に奉納する信仰に由来します。現在ではその象徴として像が置かれることが多く、真清田神社の神馬像もその伝統を受け継ぐものです。
また、真清田神社の例大祭である桃花祭は「馬まつり」とも呼ばれ、神輿渡御にあわせて飾り馬が登場するなど、古くから馬との関わりが深い神社として知られています。境内の神馬像は、そうした信仰や祭礼文化を今に伝える象徴的な存在といえます。
真清田神社 神馬像

北白川房子様歌碑

北白川房子様歌碑は、拝殿の右奥に位置する見どころの一つです。
1972年(昭和47年)の御鎮座2600年記念大祭にあわせて賜った、北白川房子妃の御歌が刻まれており、この節目を記念して建立された歌碑です。翌1973年(昭和48年)4月25日に建立され、現在に伝えられています。
北白川房子殿下は、明治天皇第七皇女であり、戦後に伊勢神宮の祭主を務めた人物として知られています。その御歌には、真清田神社の弥栄と永続を願う祈りが込められており、尾張一宮としての歴史を支える信仰の厚さを今に伝えています。
皇族から賜った御歌が碑として残されている点は、神社と皇室、そして神道のつながりを感じさせる要素であり、境内においても歴史的背景を示す重要な存在となっています。
真清田神社 北白川房子様歌碑

森寿和子歌碑

真清田神社の境内にある「森寿和子歌碑」は、拝殿右側、「貫之桜」のそばに位置する見どころの一つです。
この歌碑は、一宮市出身の歌人であり、第3代真清短歌会会長を務めた森寿和子(1890年?1973年)の功績を記念して建立されたもので、1968年(昭和43年)に真清短歌会の会員によって建てられました。森寿和子は1967年(昭和42年)に一宮市文化功労者として表彰されており、その顕彰の意味も込められています。
碑には「貫之桜」を詠んだ短歌が刻まれており、「赤染も 阿仏尼も観て はやしけむ 貫之桜 植え継ぎゆかな」といった歌が知られています。この歌は、古典文学の歌人たちに思いを重ねながら、桜を受け継いでいく営みを詠んだもので、地域の文化や歴史の継承を象徴する内容となっています。
森寿和子は大正期から昭和にかけて活躍した一宮歌壇の先覚者であり、「うたかき」の継承や真清短歌会の発展に尽力した人物です。その功績を後世に伝えるために建立されたこの歌碑は、地域文化と短歌の伝統を今に伝える存在となっています。
真清田神社 森寿和子歌碑

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