二十五丁目橋・松御前之碑・歌碑・眼鏡之碑 | 熱田神宮 - 神社ファン

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大関

熱田神宮

あつたじんぐう

愛知県熱田区神宮一丁目1番1号

二十五丁目橋・松御前之碑・歌碑・眼鏡之碑

更新日:2025年6月24日

二十五丁目橋

「佐久間灯篭」と「徹社」の間には、25枚の花崗岩を組んだ反り橋、「二十五丁目橋」があります。
二十五丁目橋
ゆるやかな曲線の橋は、かつて神宮周りの堀に架けられていましたが、1936(昭和11)年拡張工事のため解体。1955(昭和30)年に現在の場所へ移設されました。名古屋では最古の石橋と言われます。昔は柵があり渡ることはできませんでしたが、現在は渡ることができます。こういった反り橋は現在渡れるところは少ないので非常に貴重です。仮説通路が設置されていますのでゆっくり渡りましょう。
二十五丁目橋 横
橋のたもとには「名古屋甚句」の歌碑があり、「西行法師が二十五丁目橋に腰を掛け、『これ程涼しいこの宮をたれが熱田と名をつけた』と語った」と記されています。
名古屋甚句
ア~宮の熱田の二十五丁橋でエ~
ア~西行法師が腰を掛け
東西南北見渡して
これ程涼しいこの宮を
たれが熱田とヨーホホ
ア~アア名を付けたエ~
トコドッコイ ドッコイショ

松御前之碑・歌碑

二十五丁目橋の近くに建つ石碑は、鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝の曾祖母・松御前をお祀りするものです。尾張氏とつながりを持つ熱田大宮司の娘、松御前は、三河の野田城主・藤原氏千秋家に嫁ぎ、頼朝の母となる由良御前を産みました。
「松御前之碑」のとなりには、「桜花 ちりなむ後の かたみには 松にかかれる 藤をたのまん」と刻まれた歌碑もあります。「尾張氏には男児がいないため、これよりは尾張の血をひく藤原氏を頼りにしよう」という意味で、熱田大宮司職が尾張氏から藤原氏へと交代したことを熱田大明神が歌ったものです。碑は新城市・豊島にありましたが、2021(令和3)年、献納されました。
松御前之碑

眼鏡之碑

石柱の上に土偶が立つ「眼鏡之碑」は、1982(昭和57)年、「名古屋眼鏡商業協同組合」が設立60周年を記念し奉納したものです。土偶は、青森県で出土した世界に類を見ない「縄文時代の遮光器(眼鏡)」を付けたもので、彫刻家・安藤菊男氏により複製されました。
眼鏡之碑

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