有名度
大関熱田神宮
あつたじんぐう
愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号
日割御子神社
更新日:2026年9月1日
熱田神宮の摂社
日割御子神社(ひさきみこじんじゃ)は、熱田神宮境内の最も南東に鎮座する摂社です御祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)。『続日本後紀』や『延喜式』にもその名が残る古社で、現在は熱田神宮の摂社でありながら、古代には名神大社に列した高い格式を持つ神社です。

かつて海に面していた「干崎」
日割御子神社が鎮座する境内南東端は、かつて海に臨む場所でした。この地は古く、海へ張り出した洲崎であったことから「干崎(ひさき)」と呼ばれたと伝えられています。「日割御子神社」を「ひさきみこじんじゃ」と読む社名にも、この土地の古い呼び名が残されています。
現在の熱田神宮は市街地の中にありますが、古代の熱田台地の南端は海に面していました。日割御子神社の鎮座地は、現在とは大きく異なっていた熱田周辺の地形を伝える場所でもあります。

御祭神の天忍穂耳尊は、天照大神と素盞嗚尊の誓約によって誕生した五柱の男神の一柱です。日割御子神社のすぐ北側には、天忍穂耳尊の御子神である天火明命を祀る孫若御子神社が鎮座しており、現在も親神と御子神を祀る二社が南北に並んでいます。
スポンサーリンク
『続日本後紀』にも登場する名神大社
日割御子神社の創建年代は明らかではありません。一説には孝安天皇の時代の創建とも伝えられていますが、その由緒を確定できる史料は確認されていません。一方、平安時代前期にはすでに朝廷から重視される神社であったことが史料から確認できます。
『続日本後紀』の承和2年(835)12月条には、尾張国の日割御子神・孫若御子神・高座結御子神の三神がそろって「名神」に列せられたことが記されています。さらに三神について「並熱田大神御児神也」とあり、いずれも熱田大神の御子神とされています。
その後、延長5年(927)にまとめられた『延喜式』では、尾張国愛智郡の「日割御子神社」として記載され、名神大社に列しています。
現在は熱田神宮の境内摂社ですが、その歴史を史料上でも9世紀前半まで遡ることができる由緒ある神社です。
社殿は長い歴史の中でたびたび修造されています。古い記録には正応4年(1291)の造営や貞享3年(1686)の修理も記されており、昭和20年(1945)の空襲では社殿を焼失しました。現在の社殿は昭和57年(1982)に再建されたものです。

古くから重視された「熱田七社」の一社
熱田七社とは、熱田神宮、別宮八剣宮、高座結御子神社、氷上姉子神社、日割御子神社、上知我麻神社、下知我麻神社の七社です。ここで興味深いのが、すぐ北に鎮座する孫若御子神社との違いです。
『続日本後紀』では日割御子神・孫若御子神・高座結御子神がそろって名神に列せられ、『延喜式』でも日割御子神社と孫若御子神社はいずれも名神大社です。しかし、後世に「熱田七社」と呼ばれるようになった七社には日割御子神社が入り、孫若御子神社は含まれていません。
現在の境内では南東の端にひっそりと鎮座していますが、平安時代にはすでに名神として朝廷から重視され、後世には熱田七社にも数えられた日割御子神社。熱田神宮の中でも特に古い歴史を史料からたどることのできるお社です。
この記事を0人の方がいいねといっています
スポンサーリンク
