有名度
大関熱田神宮
あつたじんぐう
愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号
清雪門
更新日:2026年9月2日
楠御前社の近くに立つ清雪門(せいせつもん)は、固く閉ざされていることから「不開門(あかずのもん)」とも呼ばれる熱田神宮の古い門です。
草薙神剣の盗難と還座という熱田神宮の歴史に深く関わる門で、毎年5月4日に行われる「酔笑人神事」の舞台にもなっています。
現在は門の先に参道や社殿が続いているわけではなく、裏側へ回ると門だけが立つ独特の姿を見ることができます。
海上門は南、春敲門は東、鎮皇門は西、清雪門は北に位置していました。海上門・春敲門・鎮皇門は太平洋戦争の戦災で失われたため、神宮四門のうち現在まで残っているのは清雪門のみです。
清雪門はもともと現在とは別の場所にあったと伝えられていますが、現在地へ移された時期など詳しい変遷は明らかになっていません。
ただし、門そのものには江戸時代まで遡る歴史が残されています。昭和38年(1963)の解体修理では、屋根を支える部材から「貞享三年寅六月十七日、遠州浜松浅原庄右衛門」と記された墨書が発見されました。貞享3年(1686)に修理が行われたことを伝える貴重な痕跡です。
戦災を免れた清雪門は、かつての熱田神宮の姿を現在に伝える数少ない古い建造物となっています。
新羅の僧が熱田神宮から草薙神剣を盗み、新羅へ持ち出そうとした事件です。清雪門については、この僧が盗んだ神剣を持って門を通ったため、不吉な門として忌まれ、以後閉ざされたという伝承があります。
一方、別の伝承も残されています。
盗難事件をきっかけに草薙神剣は一時皇居で奉斎されましたが、朱鳥元年(686)、勅命によって熱田神宮へ還座しました。その際、神剣が再び皇居へ遷ることのないよう門を閉ざしたとも伝えられています。
「神剣を盗んだ僧が通ったため閉ざされた」という伝承と、「熱田へ戻った神剣が二度と遷らないよう閉ざされた」という伝承。清雪門が長く「不開門」と呼ばれてきた背景には、いずれも熱田神宮で最も重要な草薙神剣にまつわる物語があります。
※清雪門の後ろ側です。門しかありません。
酔笑人神事は、朱鳥元年(686)に草薙神剣が熱田神宮へ還座した際、人々が喜んだ様子を現在に伝える神事です。
神事が始まると境内の灯りがすべて消されます。神職は、古くから「見てはならない」と伝えられる神面を装束の袖に隠し持ち、中啓と呼ばれる扇で神面を軽く叩きます。そして一同が喜びを込めて「オホホ」と大きな声で笑います。
この特徴的な笑い声から「オホホ祭り」とも呼ばれています。
神事は熱田神宮の西に鎮座する影向間社から始まり、神楽殿前、別宮八剣宮前、そして清雪門前の4ヶ所を巡って行われます。
草薙神剣の盗難事件と深く結びつく「不開門」で、最後に神剣還座の喜びを大笑いによって表すところも印象的です。
普段は静かに閉ざされた清雪門ですが、現存する唯一の神宮四門であり、草薙神剣の盗難と還座、そして現在まで続く酔笑人神事を結びつける、熱田神宮の歴史を知るうえで見逃せない門です。
草薙神剣の盗難と還座という熱田神宮の歴史に深く関わる門で、毎年5月4日に行われる「酔笑人神事」の舞台にもなっています。
現在は門の先に参道や社殿が続いているわけではなく、裏側へ回ると門だけが立つ独特の姿を見ることができます。

現存する唯一の「神宮四門」
古来、熱田神宮には「海上門(海蔵門)」「春敲門(しゅんこうもん)」「鎮皇門(ちんこうもん)」「清雪門」の4つの門があり、「神宮四門」と呼ばれていました。海上門は南、春敲門は東、鎮皇門は西、清雪門は北に位置していました。海上門・春敲門・鎮皇門は太平洋戦争の戦災で失われたため、神宮四門のうち現在まで残っているのは清雪門のみです。
清雪門はもともと現在とは別の場所にあったと伝えられていますが、現在地へ移された時期など詳しい変遷は明らかになっていません。
ただし、門そのものには江戸時代まで遡る歴史が残されています。昭和38年(1963)の解体修理では、屋根を支える部材から「貞享三年寅六月十七日、遠州浜松浅原庄右衛門」と記された墨書が発見されました。貞享3年(1686)に修理が行われたことを伝える貴重な痕跡です。
戦災を免れた清雪門は、かつての熱田神宮の姿を現在に伝える数少ない古い建造物となっています。

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草薙神剣の盗難事件と「不開門」
清雪門が「不開門」と呼ばれる背景には、天智天皇7年(668)に起きた草薙神剣の盗難事件があります。新羅の僧が熱田神宮から草薙神剣を盗み、新羅へ持ち出そうとした事件です。清雪門については、この僧が盗んだ神剣を持って門を通ったため、不吉な門として忌まれ、以後閉ざされたという伝承があります。
一方、別の伝承も残されています。
盗難事件をきっかけに草薙神剣は一時皇居で奉斎されましたが、朱鳥元年(686)、勅命によって熱田神宮へ還座しました。その際、神剣が再び皇居へ遷ることのないよう門を閉ざしたとも伝えられています。
「神剣を盗んだ僧が通ったため閉ざされた」という伝承と、「熱田へ戻った神剣が二度と遷らないよう閉ざされた」という伝承。清雪門が長く「不開門」と呼ばれてきた背景には、いずれも熱田神宮で最も重要な草薙神剣にまつわる物語があります。

「オホホ」と笑う酔笑人神事
毎年5月4日の午後7時から行われる「酔笑人神事(えようどしんじ)」では、清雪門前が神事の舞台となります。酔笑人神事は、朱鳥元年(686)に草薙神剣が熱田神宮へ還座した際、人々が喜んだ様子を現在に伝える神事です。
神事が始まると境内の灯りがすべて消されます。神職は、古くから「見てはならない」と伝えられる神面を装束の袖に隠し持ち、中啓と呼ばれる扇で神面を軽く叩きます。そして一同が喜びを込めて「オホホ」と大きな声で笑います。
この特徴的な笑い声から「オホホ祭り」とも呼ばれています。
神事は熱田神宮の西に鎮座する影向間社から始まり、神楽殿前、別宮八剣宮前、そして清雪門前の4ヶ所を巡って行われます。
草薙神剣の盗難事件と深く結びつく「不開門」で、最後に神剣還座の喜びを大笑いによって表すところも印象的です。
普段は静かに閉ざされた清雪門ですが、現存する唯一の神宮四門であり、草薙神剣の盗難と還座、そして現在まで続く酔笑人神事を結びつける、熱田神宮の歴史を知るうえで見逃せない門です。
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