有名度
大関熱田神宮
あつたじんぐう
愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号
上知我麻神社・大国主社・事代主社
更新日:2026年9月2日
別宮八剣宮の南西に鎮座する上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)は、熱田神宮の境内摂社です。
創建年代は明らかではありませんが、『延喜式神名帳』に記載された上知我麻神社の論社とされ、古くから熱田七社の一つに数えられてきた由緒ある神社です。
現在は上知我麻神社を中心に、左側に大国主社、右側に事代主社が並んで鎮座しています。
乎止與命は尾張国造で、熱田の地主神とされています。また、日本武尊の妃となり、草薙神剣を熱田に祀ったと伝えられる宮簀媛命と、日本武尊の東征に従った建稲種命の父にあたります。
熱田神宮の創祀に深く関わる宮簀媛命の父神を祀ることからも、上知我麻神社と熱田の地との深いつながりがうかがえます。
現在も合格祈願に訪れる人が多く、受験シーズンには合格を願う参拝者が訪れます。また、商売繁盛の御神徳でも信仰されています。
「知恵の文殊」という呼び名も新しいものではなく、江戸時代の『尾張名所図会』にも、上知我麻神社が俗に「源太夫社」と呼ばれ、「智恵の文殊」として信仰されていたことが記されています。
旧鎮座地は東海道と美濃路が分かれる追分にあたり、古くから「源太夫社」の名で親しまれていました。
東海道を進めば七里の渡しを経て桑名方面へ、美濃路を進めば名古屋城下を経て垂井で中山道へとつながります。多くの旅人が行き交う交通の要衝に鎮座していたことから、上知我麻神社は海道守護の神としても信仰され、旅人が道中の安全を祈願しました。
江戸時代の『尾張名所図会』にも、追分に鎮座する源太夫社が描かれています。
昭和24年(1949)、戦後の復興事業に伴って旧地から熱田神宮境内へ遷座し、現在に至ります。
文明2年(1470)にはすでに「源太夫」の上演記録が残っており、熱田神宮を舞台として、その縁起や草薙神剣にまつわる物語が描かれています。
物語では、熱田明神へ参詣した勅使の前に老夫婦が現れ、熱田神宮の由来を語ります。やがて老翁は、自らが「東海道を守る源太夫神」であることを明かします。
実際の源太夫社も東海道と美濃路の追分に鎮座し、海道守護の神として信仰されていました。室町時代の能にまでその名が登場することから、上知我麻神社と街道を行き交う人々との結びつきが古くから続いていたことがわかります。
毎年11月15日には、名氏子となった子どもの健やかな成長を神様に感謝する「名氏子祭」が執り行われます。
神様から名前の一字をいただく命名祈祷は現在も行われており、毎日受け付けられています。
大国主社は「大黒様」、事代主社は「恵比須様」として信仰され、商売繁盛や家内安全を願う参拝者から篤い崇敬を集めています。
大国主命と事代主命は日本神話では親子にあたり、上知我麻神社を挟むように大黒様と恵比須様が並んで祀られているところも見どころです。
祭典は午前0時から始まり、商売繁盛や家内安全、新春の福運を願う大勢の参拝者が集まります。特に最初に授与される「一番札」を求める人々で、上知我麻神社周辺は大変な賑わいとなります。
初えびすでは、願いや仕事に応じた4種類のお札が授与されます。
商売をする人には「あきないえびす」、会社などに勤める人には「はたらきえびす」、漁業に携わる人には「とりえびす」。さらに平成28年(2016)からは、生涯現役を願う「ちからえびす」が加わりました。
このほか、福をかき集める「福熊手」や、福をすくい取る「福箕(ふくみ)」なども授与されます。
お札を受けた後は、授かった福を逃がさないよう、誰とも口をきかず、途中で寄り道もせず、そのまま一目散に自宅へ帰ります。
知人に会っても話をせず、授かった福をそのまま家まで持ち帰るという、熱田神宮の初えびすならではの風習です。
熱田の地主神を祀る古社であり、東海道を守る「源太夫社」、知恵を授ける「知恵の文殊様」、子どもの名前を授かる名氏子信仰、そして大黒様・恵比須様の初えびすと、上知我麻神社周辺には長い歴史のなかで育まれてきた多彩な信仰が現在まで受け継がれています。
創建年代は明らかではありませんが、『延喜式神名帳』に記載された上知我麻神社の論社とされ、古くから熱田七社の一つに数えられてきた由緒ある神社です。
現在は上知我麻神社を中心に、左側に大国主社、右側に事代主社が並んで鎮座しています。

御祭神は熱田の地主神・乎止與命
上知我麻神社の御祭神は乎止與命(おとよのみこと)です。乎止與命は尾張国造で、熱田の地主神とされています。また、日本武尊の妃となり、草薙神剣を熱田に祀ったと伝えられる宮簀媛命と、日本武尊の東征に従った建稲種命の父にあたります。
熱田神宮の創祀に深く関わる宮簀媛命の父神を祀ることからも、上知我麻神社と熱田の地との深いつながりがうかがえます。

「知恵の文殊様」として合格祈願
上知我麻神社は古くから「知恵の文殊様」と呼ばれ、知恵授けの神として信仰されています。現在も合格祈願に訪れる人が多く、受験シーズンには合格を願う参拝者が訪れます。また、商売繁盛の御神徳でも信仰されています。
「知恵の文殊」という呼び名も新しいものではなく、江戸時代の『尾張名所図会』にも、上知我麻神社が俗に「源太夫社」と呼ばれ、「智恵の文殊」として信仰されていたことが記されています。

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東海道と美濃路の追分にあった「源太夫社」
上知我麻神社は、もともと現在地から南へ約200m離れた場所に鎮座していました。旧鎮座地は東海道と美濃路が分かれる追分にあたり、古くから「源太夫社」の名で親しまれていました。
東海道を進めば七里の渡しを経て桑名方面へ、美濃路を進めば名古屋城下を経て垂井で中山道へとつながります。多くの旅人が行き交う交通の要衝に鎮座していたことから、上知我麻神社は海道守護の神としても信仰され、旅人が道中の安全を祈願しました。
江戸時代の『尾張名所図会』にも、追分に鎮座する源太夫社が描かれています。
昭和24年(1949)、戦後の復興事業に伴って旧地から熱田神宮境内へ遷座し、現在に至ります。

東海道を守る「源太夫神」を描いた能「源太夫」
「源太夫」は上知我麻神社の別名だけでなく、室町時代から演じられてきた能の曲名にもなっています。文明2年(1470)にはすでに「源太夫」の上演記録が残っており、熱田神宮を舞台として、その縁起や草薙神剣にまつわる物語が描かれています。
物語では、熱田明神へ参詣した勅使の前に老夫婦が現れ、熱田神宮の由来を語ります。やがて老翁は、自らが「東海道を守る源太夫神」であることを明かします。
実際の源太夫社も東海道と美濃路の追分に鎮座し、海道守護の神として信仰されていました。室町時代の能にまでその名が登場することから、上知我麻神社と街道を行き交う人々との結びつきが古くから続いていたことがわかります。
神様から名前の一字をいただく「名氏子」
上知我麻神社には「名氏子(なうじこ)」と呼ばれる珍しい信仰が受け継がれています。新しく生まれた子どもの名前を付ける際、神託によって神様から一字をいただき、その文字をもとに命名するものです。このように名前を授かった子どもは「名氏子」と呼ばれます。毎年11月15日には、名氏子となった子どもの健やかな成長を神様に感謝する「名氏子祭」が執り行われます。
神様から名前の一字をいただく命名祈祷は現在も行われており、毎日受け付けられています。

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大黒様の大国主社と恵比須様の事代主社
上知我麻神社の社殿に向かって左側には大国主社(おおくにぬししゃ)、右側には事代主社(ことしろぬししゃ)が鎮座しています。大国主社は「大黒様」、事代主社は「恵比須様」として信仰され、商売繁盛や家内安全を願う参拝者から篤い崇敬を集めています。
大国主命と事代主命は日本神話では親子にあたり、上知我麻神社を挟むように大黒様と恵比須様が並んで祀られているところも見どころです。

1月5日の「初えびす」
毎年1月5日に行われる「初えびす」は、熱田神宮の正月を代表する祭典の一つです。祭典は午前0時から始まり、商売繁盛や家内安全、新春の福運を願う大勢の参拝者が集まります。特に最初に授与される「一番札」を求める人々で、上知我麻神社周辺は大変な賑わいとなります。
初えびすでは、願いや仕事に応じた4種類のお札が授与されます。
商売をする人には「あきないえびす」、会社などに勤める人には「はたらきえびす」、漁業に携わる人には「とりえびす」。さらに平成28年(2016)からは、生涯現役を願う「ちからえびす」が加わりました。
このほか、福をかき集める「福熊手」や、福をすくい取る「福箕(ふくみ)」なども授与されます。

福を逃がさないため、誰とも話さず帰る
初えびすには、現在まで伝わる独特の風習があります。お札を受けた後は、授かった福を逃がさないよう、誰とも口をきかず、途中で寄り道もせず、そのまま一目散に自宅へ帰ります。
知人に会っても話をせず、授かった福をそのまま家まで持ち帰るという、熱田神宮の初えびすならではの風習です。
熱田の地主神を祀る古社であり、東海道を守る「源太夫社」、知恵を授ける「知恵の文殊様」、子どもの名前を授かる名氏子信仰、そして大黒様・恵比須様の初えびすと、上知我麻神社周辺には長い歴史のなかで育まれてきた多彩な信仰が現在まで受け継がれています。
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