有名度
大関熱田神宮
あつたじんぐう
愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目1番1号
本宮・御祭神・ご利益
更新日:2026年9月1日
草薙神剣を御霊代とする熱田大神を祀る本宮
熱田神宮の中心となる「本宮」には、三種の神器の一つ「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を御霊代とする熱田大神が祀られています。主祭神は熱田大神、相殿には天照大神(あまてらすおおかみ)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命(たけいなだねのみこと)の五柱が祀られています。

相殿神も草薙神剣や尾張と深い関係があります。素盞嗚尊は八岐大蛇を退治してその尾から剣を得た神、日本武尊は東国征討の際に草薙神剣を携えた神です。宮簀媛命は日本武尊から草薙神剣を託され、熱田の地に祀ったと伝えられる神。建稲種命は宮簀媛命の兄で、宮簀媛命とともに尾張氏の遠祖として仰がれています。
草薙神剣を熱田に祀ったことに始まる熱田神宮
熱田神宮の創祀は、草薙神剣と日本武尊の伝承に始まります。日本武尊は東国征討からの帰途、尾張国造の娘である宮簀媛命を妃としました。その後、草薙神剣を尾張に留めたまま伊吹山へ向かい、帰途に病となって伊勢国能褒野で亡くなったと伝えられています。
宮簀媛命は日本武尊の遺志を重んじ、草薙神剣を熱田の地に祀りました。これが熱田神宮の始まりとされ、熱田神宮では景行天皇43年(113)を創祀の年としています。
ただし、西暦113年という年代は社伝に基づくもので、歴史学的に創建年が確定しているわけではありません。
草薙神剣を奉斎する熱田神宮は古くから特別な崇敬を受け、『延喜式』では名神大社に列せられました。現在も熱田神宮は、伊勢の神宮に次ぐ格別に尊い神社として崇敬され、国家鎮護の神社としての歴史を伝えています。
Tomio344456(wikipedia CC 表示-継承 4.0)尾張造から神明造へ変わった本宮
現在の本宮は、伊勢神宮と同じ神明造を基本とした社殿です。しかし、古くから現在の姿だったわけではありません。かつては本殿・祭文殿・拝殿などを回廊でつなぐ「尾張造」と呼ばれる独特の社殿形式でした。
明治26年(1893)、三種の神器である草薙神剣を奉斎する神社としての由緒から、伊勢神宮にならった神明造へと改造されました。
その後、昭和20年(1945)の空襲によって多くの社殿が焼失します。戦後に再建が進められ、昭和30年(1955)に現在につながる本宮の社殿が完成しました。
平成19年(2007)からは、平成21年(2009)の「創祀千九百年大祭」に向け、本宮の改修工事が行われています。

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必勝・勝運で知られる熱田神宮
熱田神宮のご利益として特によく知られているのが、必勝・勝運です。草薙神剣は日本武尊の東国征討を助けた神剣で、熱田神宮も日本武尊が「神剣の大いなる御加護」によって東国を平定したと伝えています。
さらに永禄3年(1560)、織田信長は桶狭間の戦いへ出陣する際に熱田神宮で必勝を祈願しました。信長は今川義元を破って大勝し、その御礼として築地塀を奉納しました。この「信長塀」は現在も境内に残っています。
草薙神剣と日本武尊の伝承、そして織田信長の必勝祈願という二つの歴史が、熱田神宮と勝運・必勝を結びつける大きな要素となっています。

国家安泰・五穀豊穣・産業繁栄など幅広い御神徳
熱田神宮は必勝だけでなく、国家や人々の暮らしに関わる幅広い祈りを受けてきました。国家鎮護の神社として崇敬されてきた歴史を持ち、現在も歳旦祭では皇室をはじめ国家・国民の平安と繁栄、明治祭では皇室の弥栄と国家の安泰が祈られています。また、本宮をはじめ境内外の摂末社で行われる祈年祭では五穀豊穣と産業繁栄を祈願し、秋の新嘗祭では新穀を神前に供えて収穫を奉告し、神恩に感謝します。
個人の祈願も幅広く、熱田神宮では家内安全や会社安全などの各種祈祷が行われています。授与品にも家内安全・業務繁栄の神札をはじめ、身体健全・交通安全・厄除け・縁結びなどのお守りがあります。
熱田神宮には本宮のほか、別宮・摂社・末社が境内外に数多く鎮座しています。それぞれ異なる神々と信仰が伝わっているため、本宮への参拝とあわせて摂末社を巡ることで、熱田神宮の多様な御神徳に触れることができます。
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