有名度
関脇小國神社
おくにじんじゃ
静岡県周智郡森町一宮3956-1
家康公の立あがり石
更新日:2026年9月22日
徳川家康公ゆかりの「立ち上がり石」
参道を進み、二の鳥居の左側に置かれているのが「家康公の立ち上がり石」です。その名の通り、徳川家康公が実際に腰を掛けて休息したと伝えられる石で、小國神社と家康公との深いつながりを現在に伝える史跡のひとつです。
小國神社に残る延宝8年(1680)の古記録によると、元亀3年(1572)9月22日、家康公は小國神社に願文と「三条小鍛冶宗近」を銘する大刀二振を奉納し、戦勝と開運を祈願しました。
当時、遠江では徳川氏と武田氏の緊張が高まっていました。願文には、小國神社の神力を得て戦いに勝利したいという家康公の切実な祈りが記されています。この年の12月には、家康公は武田信玄率いる軍勢と三方ヶ原で戦い、大敗を喫することになります。
その2年後となる天正2年(1574)、家康公は武田方の天野氏が守る犬居城を攻略する道中で再び小國神社を参拝しました。その際に腰を掛けて休息したと伝えられているのが、現在の「立ち上がり石」です。

三方ヶ原の戦いで大敗を喫した家康公が再び立ち上がり、やがて江戸幕府を開くまでに至った歴史を知ると、「立ち上がり石」という名前もより印象深いものになります。
現在では家康公の大願成就にあやかり、心願成就・大願成就を願って石に腰掛ける参拝者も多く、小國神社でも本社への参拝後に腰掛けて帰ることを案内しています。
見るだけではなく、実際に腰掛けられるのもこの石の特徴です。家康公が犬居城攻略へ向かう途中、ここに腰を下ろしたという伝承を知ったうえで座ってみると、戦国時代の出来事をぐっと身近に感じられます。
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家康公が奉納した「三条小鍛冶宗近」銘の大刀
立ち上がり石とあわせて知っておきたいのが、家康公が小國神社へ奉納した大刀です。元亀3年(1572)、家康公は戦勝・開運を祈願した願文とともに、「三条小鍛冶宗近」を銘する大刀二振を奉納しました。この二振は現在も小國神社の宝物として伝えられています。
三条宗近は平安時代に京都で活躍したと伝わる刀工で、日本刀成立初期を代表する名工のひとりです。
その代表作として名高いのが、国宝「太刀 銘三条(名物 三日月宗近)」です。刃文に三日月形の模様が見られることから「三日月宗近」と呼ばれ、室町時代には名刀「天下五剣」のひとつに数えられていました。
宗近には、稲荷明神の使いである狐の助けを得て名刀「小狐丸」を鍛えたという伝説もあります。この物語は後に能「小鍛冶」の題材となり、宗近の名を現在まで伝える有名な逸話となっています。

三条小鍛冶宗近の名は現代の包丁にも
実は、この三条宗近につながる由緒を伝える刃物店が現在もあります。奈良市の「三條小鍛冶宗近本店」では、室町時代に三条小鍛冶宗近の直系が興福寺や東大寺の要請を受けて奈良へ移り、尼ヶ辻で僧兵の刀剣や武器類を鍛造したことを創業の起源と伝えています。
その後、江戸時代には三笠山麓へ移り、春日大社をはじめとする奈良の寺社へ奉納する刀剣を鍛造。明治時代の廃刀令以降は、刀剣づくりで培われた伝統的な鍛造技術を料理用の打刃物へと生かし、現在は包丁などの家庭用刃物を製造・販売しています。
なお、平安時代の三条宗近から現在の店へ続く「直系」という系譜は、同店に伝わる由緒によるものです。
小國神社に奉納された大刀に刻まれている「三条小鍛冶宗近」という名が、名刀の伝説だけでなく、現代の包丁づくりにも受け継がれているというのは興味深いところです。
家康公が戦勝を願って奉納した願文と二振の大刀、犬居城攻略へ向かう途中で腰掛けたと伝わる立ち上がり石、そして大刀に刻まれた宗近の名につながる現在の刃物づくり。ひとつの石から歴史をたどっていくと、小國神社と戦国時代、さらに平安時代から続く刀剣文化まで話が広がっていきます。
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