賤機山古墳 | 静岡浅間神社 - 神社ファン

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静岡浅間神社

しずおかせんげんじんじゃ

静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1

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賤機山古墳

更新日:2026年9月21日

有力豪族の墓

賤機山古墳(しずはたやまこふん)は、静岡浅間神社の境内にある横穴式石室を持つ古墳です。賤機山の南端、標高約50mの尾根上に築かれており、ちょうど大歳御祖神社の本殿裏(北側)に位置します。
賤機山の丘陵には複数の古墳があり、賤機山古墳は「賤機山3号墳」とも呼ばれています。直径約32m、高さ約7mの円墳で、1953(昭和28)年3月31日に国の史跡に指定されました
賤機山古墳
この古墳の存在が知られるようになったきっかけには、興味深い逸話が残されています。江戸時代の『駿河国志』や『駿河記』によると、明和年間(1764~1772)、古墳の上に立っていた大木が大風によって倒れ、その根の下に穴が開きました。中へ下りてみると石積みの部屋である石室があり、その中には石棺が置かれていたといいます。
その後、1949(昭和24)年に考古学者の後藤守一・斎藤忠両博士によって初めて本格的な考古学調査が行われ、古墳の形や大きさ、石室、石棺、副葬品などが明らかになりました。
横穴式石室は、遺体を埋葬する主室である「玄室」と、玄室へ続く「羨道」、その外側の「前庭」で構成されています。玄室奥壁から外護列石までの長さは18.2mにも及びます。
玄室は奥行約6.8m、幅約2.1m、高さ約3.5mという大きなもので、羨道より玄室の幅が広い羽子板のような平面形や、玄室の高さが羨道の約2倍になる構造など、近畿地方に典型的に見られる大型石室との共通点が認められています。県内最大規模の横穴式石室であり、その大きさからも被葬者が並外れた力を持つ人物だったことがうかがえます。
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賤機山古墳全体の模型
玄室内には、巨大な「刳抜式家形石棺」が安置されています。
石棺は伊豆産の凝灰岩を刳り抜いて造られたもので、長さは約2.9m。箱形の身と家の屋根のような形をした蓋から構成され、その姿から「家形石棺」と呼ばれています。蓋には縄を掛けるための突起が削り出され、蓋と身の合わせ目には赤色のベンガラも塗られていました。
残念ながら古くに盗掘を受けており、石棺の側面には穴が開けられています。内部には人骨や副葬品がほとんど残っておらず、金銅製冠帽の破片やガラス玉などがわずかに残されていました。
しかし、石棺の周囲からは須恵器・土師器をはじめ、挂甲、大刀、鉄鏃、金銅製冠帽、金環、馬具、鉄製工具、六鈴鏡など、質・量ともに豊富な遺物が発見されています。
特に金銅製の装身具や馬具などを伴う豪華な副葬品と、県内最大規模の横穴式石室、巨大な家形石棺は、この墓に葬られた人物が非常に大きな力を持っていたことを物語ります。出土した遺物の年代は6世紀後半から7世紀前半まで長期間にわたっており、石室では複数回の埋葬が行われた可能性も指摘されています。こうした調査結果から、賤機山古墳は6世紀代にこの地域を支配した最有力豪族の墓と考えられています。
また、賤機山の丘陵には賤機山古墳のほかにも、一本松古墳や麓山神社後古墳などが築かれています。これらには5世紀代までさかのぼる古墳もあり、賤機山一帯が長期間にわたって地域の有力者と深く関わる場所であったことがうかがえます。
さらに賤機山古墳の石室には近畿地方の大型石室との共通性が認められます。巨大な家形石棺や豪華な副葬品とあわせ、古墳時代の静岡と畿内との関係を考えるうえでも重要な古墳です。
1993(平成5)年度から1996(平成8)年度にかけて保存修復工事が行われ、変形していた墳丘などが築造当時の姿をもとに復元整備されました。
なお、現在は石室への雨水浸入によって石材の劣化が進んでいるため、2026(令和8)年度から第2期整備事業が進められています。墳丘には防水シートが設置され、安全確保と古墳保護のため一般の見学者は石室内部へ立ち入ることができません。
静岡浅間神社の境内にありながら、その歴史は神社の創建をはるかにさかのぼる賤機山古墳。巨大な横穴式石室や家形石棺、豪華な副葬品から、古墳時代の静岡を治めた有力者の姿と、当時の畿内とのつながりを知ることができる貴重な史跡です。

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