静岡浅間神社廿日会祭の稚児舞 | 静岡浅間神社 - 神社ファン

有名度

関脇

静岡浅間神社

しずおかせんげんじんじゃ

静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1

静岡浅間神社廿日会祭の稚児舞

更新日:2025年7月12日

祭の中心となる稚児舞楽

静岡浅間神社では、毎年4月1日から5日にかけて廿日会祭(はつかえさい)が執り行われます。このお祭りは、駿河を支配していた今川氏の時代から続いており期間中は多くの祭典が行われます。その中でも一番の見どころは、稚児舞楽と言えるでしょう。
稚児舞楽は、もともと建穂寺(たきょうじ)にて伝承されてきた舞です。建穂寺は、静岡浅間神社より安倍川を挟んで西側に建立されているお寺であり、静岡浅間神社まで出向いて稚児舞楽を奉納していました。
また、今川家の滅亡とともに一時期衰退していた稚児舞楽を、徳川家康が駿府入城の際に天下泰平・五穀豊穣を祈願して奉納したとも言われています。
舞を舞う稚児は幕臣の子弟から選ばれました。奉納の当日は、一年間の祭礼行事を司る年行事が建穂の村に出向き、稚児に七度半のお伺いを立てたと言われています。建穂寺から浅間神社へ向かう稚児の行列は、警護が付くなどの大名行列並みの格式が与えられていたそうです。
またその行列と一緒に山車屋台が繰り出され、木遣りやお囃子、地踊りを伴って浅間神社へと向かいました。江戸幕府庇護のもと盛大に行われ、かつては東海一の大祭とも言われたそうです。
舞楽装束には徳川家を象徴する葵紋が付けられ、舞で使用される楽器や太刀などと一緒に家康が一度上覧してから下賜されるなど、特別な扱いを受けていました。
また稚児は、桜とヤマブキの枝を挿した天冠をかぶり、額には人知を超越した存在であることを示す月形を付け、舞を舞ったそうです。
舞の奉納後には、稚児の天冠に飾られていた桜とヤマブキは飛脚で江戸城内に運びこまれ、舞の終了を報告するという花納めの儀が執り行われました。
その後、明治時代になると徳川家の庇護が受けられなくなり一時期断絶しましたが、1894年(明治27年)に稚児舞が復興されたと言われています。
2022年3月23日には国の重要無形民俗文化財に指定されました。

伝統を色濃く受け継ぐ舞

現在稚児を務めるのは、静岡市内の小学校3年生から6年生までの少年4人です。当日は、稚児を乗せた輿が山車や仮装行列などのお踟(ねり)を従えて市中を巡行します。その後、静岡浅間神社の舞殿にて稚児舞楽が披露されます。伝承している演目は「延鉾(えんぶ)」「奈曽利(なそり)」「安摩(あま)・二の舞」「還城楽(げんじょうらく)」「太平楽(たいへいらく)」の5曲です。
振鉾では稚児2人による、鉾で悪霊を鎮め、舞殿を清める舞を舞います。
納曽利は、二人舞が基本ですが、静岡浅間神社では稚児が手にばちを持ち、ひとりで舞います。
安摩・二の舞は常にセットで行われる舞です。まず安摩では2人の稚児がしゃくを持ち優雅に舞います。続いて二の舞では、年老いた男女2人が登場し、稚児の舞を真似してこっけいに踊ります。別名ズジャンコ舞とも呼ばれており、この舞を見て稚児が笑うと、その年は不作になると言われているそうです。ちなみにズジャンコ舞に登場する人は代々建穂の人たちが担当しています。
還城楽は、蛇を好んで食べていた西域の人が蛇を見つけて喜んで持ち帰ろうとしている様子を舞にしたものです。
中央に蛇の造り物が置かれ、その周りを稚児が様子を伺うようにばちを持ちながら舞います。
太平楽は、稚児2人が向き合いながら鉾と太刀を持って舞う魔除けの舞です。途中から腰の太刀を抜いて舞います。2人の武将が剣舞を披露した舞だと言われています。
廿日会祭では街に繰り出した山車や踊り、屋台などが立ち並び、静岡市全体が盛り上がる盛大なお祭りです。その中でも稚児が舞う伝統的な舞はみどころのひとつです。かの徳川家康も見たと言われる稚児舞楽を、ぜひご覧ください。

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