叶え馬 | 静岡浅間神社 - 神社ファン

有名度

関脇

静岡浅間神社

しずおかせんげんじんじゃ

静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1

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叶え馬

更新日:2026年9月21日

不思議な伝説をもつ神馬

神部神社・浅間神社の総門をくぐった右手側には神厩舎が建っており、その中に白い木彫りの神馬「叶え馬」が安置されています。
この神馬は、徳川家康が静岡浅間神社に奉納した馬を模して、江戸幕府3代将軍・徳川家光が名工・左甚五郎に作らせたものと伝えられています。
神馬に一心に祈れば何でも願い事が叶うとされることから、「叶え馬」と呼ばれるようになりました。現在は人参が描かれた叶え馬の絵馬もあり、願い事を書いて奉納することができます。
叶え馬には、まるで木彫りの馬が本当に動き出したかのような不思議な伝説も残されています。
1773(安永2)年、駿府を大火が襲い、静岡浅間神社にも火が迫りました。その際、神社にあった2頭の木彫りの神馬が三保明神(現在の御穂神社)へ逃げたと伝えられています。
火事がおさまると1頭は静岡浅間神社へ戻ってきましたが、もう1頭は三保明神にそのままとどまりました。このため現在も、静岡浅間神社と御穂神社の双方に白い神馬が伝えられています。
叶え馬
この「木の神馬」は静岡浅間神社に伝わる七不思議のひとつにも数えられています。
さらに神馬の伝説は、静岡を代表する民謡「ちゃっきり節」にも登場します。浅間さまの白い馬が三保へ逃げたという内容が歌われており、神社に伝わる不思議な話が地域の文化のなかにも残されています。
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神馬が逃げた先の御穗神社

もう1頭の白い神馬は、現在も静岡市清水区三保に鎮座する御穂神社の神馬舎に安置されています。
御穂神社公式にも、1773(安永2)年の駿府大火で静岡浅間神社の2頭の神馬が御穂神社へ逃げ、そのうち1頭が残り、もう1頭が静岡浅間神社へ戻ったという伝承が紹介されています。
興味深いことに、御穂神社の白い神馬も静岡浅間神社と同じく「何でも叶う叶え馬」として信仰されています。さらに御穂神社では子供の守り神としても信仰され、特定の祭典日には神馬の腹の下をくぐる「神馬くぐり」も行われています。
静岡浅間神社の叶え馬を参拝した後に御穂神社を訪れれば、1773年の大火で離れ離れになったと伝わる2頭の神馬をそれぞれ見ることができます。
御穂神社から「神の道」を進んだ先には、世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産である三保松原があります。三保松原は富士山を望む景勝地として古くから知られ、和歌や絵画、謡曲「羽衣」など、さまざまな芸術の舞台となってきました。
叶え馬の伝説をたどりながら、御穂神社と三保松原まで足を延ばしてみるのもおすすめです。
御穗神社Saigen Jiro (Wikipedia CC0)

伝説的な彫刻職人「左甚五郎」

叶え馬を語るうえでもうひとつ興味深いのが、その作者と伝えられる左甚五郎です。
左甚五郎は、江戸時代に建築彫刻の名人としてその名を広く知られた伝説的な人物です。日光東照宮の「眠り猫」をはじめ、全国各地に「左甚五郎作」と伝えられる彫刻が残されています。
一方で、その実像には謎が多く、実在したひとりの彫刻師なのか、優れた彫刻師を表す名称として使われたのかなど、さまざまな説があります。
左甚五郎の浮世絵歌川国芳(Wikipedia パブリック・ドメイン)
また、左甚五郎作と伝わる彫刻には、あまりにも出来栄えが見事なため、彫られた動物が夜になると動き出したという伝説が各地に残されています。
静岡浅間神社の叶え馬にも、1773(安永2)年の大火の際、2頭の木彫りの神馬が三保まで逃げたという不思議な伝説が残っています。左甚五郎にまつわる数々の「動き出す彫刻」の伝説を思わせる、興味深い逸話です。
作者の伝承とともに、神馬そのものに残された不思議な物語にも注目してみてください。

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