有名度
関脇静岡浅間神社
しずおかせんげんじんじゃ
静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
神部神社・浅間神社 舞殿
更新日:2026年9月21日
境内唯一の素木造りの建物
神部神社と浅間神社の大拝殿前に建つ舞殿は、桁行2間、梁間3間、一重の入母屋造り、本瓦形銅板葺の建物です。四方に壁を設けない開放的な造りで、周囲のどの方向からでも舞台を望むことができます。現在の舞殿は、江戸時代後期に行われた静岡浅間神社の大造営によって再建されたものです。1817(文化14)年に起工し、1820(文政3)年に完成しました。
静岡浅間神社には総漆塗りや極彩色で飾られた豪華な社殿が並びますが、舞殿は江戸時代後期に造営された社殿のなかで唯一の素木造りです。華やかな楼門や大拝殿とは対照的な木肌を生かした姿が、かえって境内で目を引きます。

舞殿は現在も祭事の舞台として使用され、静岡浅間神社の例祭「廿日会祭」で奉納される稚児舞などが行われます。
江戸時代後期の大造営を伝える貴重な建造物として、1971(昭和46)年には国の重要文化財に指定されました。
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観阿弥が舞った最後の場所
舞殿には、能楽の歴史にまつわる興味深いエピソードも伝えられています。能楽の大成者として知られる観阿弥が、生涯最後の舞台を務めた場所が静岡浅間神社とされています。観阿弥は南北朝時代に活躍した猿楽師で、息子の世阿弥とともに、現在へと続く能楽の発展に大きな役割を果たした人物です。1374(応安7)年、京都・今熊野で行った猿楽を室町幕府3代将軍・足利義満が観覧したことを契機に、観阿弥・世阿弥父子は義満の庇護を受けるようになりました。その後も観阿弥は各地で猿楽を演じています。
1384(至徳元)年、観阿弥は駿河を訪れ、今川氏に招かれて駿河浅間の舞台で舞を披露しました。これが観阿弥にとって最後の舞台になったと伝えられています。その15日後、観阿弥は52歳で亡くなりました。

観阿弥と世阿弥によって大きく発展した能楽は、現在では日本を代表する伝統芸能のひとつです。華麗な社殿群の中に建つ素木造りの舞殿は、江戸時代の建築美だけでなく、日本の能楽史にもつながる見どころとなっています。
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