有名度
前頭日枝神社
ひえじんじゃ
岐阜県高山市城山156番地
岐阜県高山市城山156番地

nnh(wikipedia パブリック・ドメイン)
かんたんご利益
- 仕事
- 厄除
日枝神社には
「仕事系」「厄除・開運系」
のご利益があります。※かんたんご利益はご利益をジャンル毎に分けわかりやすく表示したものです。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
※バイカラー(2色)になっているご利益は摂末社やお守り、御神木など本殿以外のご利益です。
※光っているご利益は特に有名なご利益です。
ご利益
公
山の神 方除 殖産興業
御祭神
大山咋神 おおやまつみのかみ
神社系統
この神社の主な系統は
「日吉・山王系」
です。※系統は御祭神や由緒による神社の分類です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
※主な系統は神社の主要となる系統で主祭神や神社名に関わる系統です。
由緒・歴史 | 特徴
日枝神社は岐阜県高山市に鎮座する神社。御祭神は大山咋神の1柱をまつる。
社格は旧県社。
起源は永治元年(1141年)にさかのぼる。この年、飛騨国国司で三仏寺城主であった飛騨守平時輔が、近江国の日吉神社を勧請し、城の近くに創建したと伝えられる。言い伝えによれば、平時輔が狩猟の際に老狼へ放った矢が獲物に当たらず、大杉に深く突き立っていたことから、大山咋神の神威を感じ、鎮護神として日吉大神を迎えたという。この時の大杉が、現在も境内に伝わる御神木「日枝神社の大スギ」である。
養和元年(1181年)正月、源義仲の軍勢により三仏寺城が落城すると、日枝神社も兵火で焼失したが、御神体は難を免れ、片野村杉ヶ平(現・高山市片野町杉ヶ丘)に移され、以後は片野村の産土神として祀られた。
天正13年(1586年)、金森長近が飛騨国に入り高山城に入城すると、城下町整備に伴い、慶長10年(1605年)に日枝神社は現在地へ奉遷され、高山城の鎮護神、ならびに旧城下町南半分の産土神として位置づけられた。その後も金森氏の崇敬を受け、社殿の修造が重ねられた。
元禄5年(1692年)に飛騨国が天領となり高山城が廃城となった後も、日枝神社は高山陣屋を拠点とする飛騨郡代の鎮護神として尊崇された。この頃には松樹院が設けられ、「両部習合神道」「山王一実神道」のもとで山王権現宮とも称され、飛騨国分寺との関係をもっていた。寛延元年(1748年)には本殿が再建され、この本殿は後に修理のうえ移築され、現在は末社である富士神社社殿として伝えられている。文政9年(1826年)には真言宗仁和寺の末となった。
明治2年(1869年)の神仏分離により、山王宮の称は廃され、日枝神社に改称された。昭和10年(1935年)には豪雨による裏山崩壊で本殿が倒壊したが、昭和13年(1938年)に現在の本殿が再建されている。昭和27年(1952年)7月1日には、岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定を受けた。
境内の御神木である日枝神社の大スギは、推定樹齢約1000年、目通り約7m、高さ約39mを測り、県指定天然記念物となっている。また、寛延元年(1748年)建立の旧本殿に由来する富士社社殿附棟札や、安永8年(1779年)建立とされる拝殿附棟札はいずれも高山市指定文化財で、往時の社殿様式を今に伝えている。
社格は旧県社。
起源は永治元年(1141年)にさかのぼる。この年、飛騨国国司で三仏寺城主であった飛騨守平時輔が、近江国の日吉神社を勧請し、城の近くに創建したと伝えられる。言い伝えによれば、平時輔が狩猟の際に老狼へ放った矢が獲物に当たらず、大杉に深く突き立っていたことから、大山咋神の神威を感じ、鎮護神として日吉大神を迎えたという。この時の大杉が、現在も境内に伝わる御神木「日枝神社の大スギ」である。
養和元年(1181年)正月、源義仲の軍勢により三仏寺城が落城すると、日枝神社も兵火で焼失したが、御神体は難を免れ、片野村杉ヶ平(現・高山市片野町杉ヶ丘)に移され、以後は片野村の産土神として祀られた。
天正13年(1586年)、金森長近が飛騨国に入り高山城に入城すると、城下町整備に伴い、慶長10年(1605年)に日枝神社は現在地へ奉遷され、高山城の鎮護神、ならびに旧城下町南半分の産土神として位置づけられた。その後も金森氏の崇敬を受け、社殿の修造が重ねられた。
元禄5年(1692年)に飛騨国が天領となり高山城が廃城となった後も、日枝神社は高山陣屋を拠点とする飛騨郡代の鎮護神として尊崇された。この頃には松樹院が設けられ、「両部習合神道」「山王一実神道」のもとで山王権現宮とも称され、飛騨国分寺との関係をもっていた。寛延元年(1748年)には本殿が再建され、この本殿は後に修理のうえ移築され、現在は末社である富士神社社殿として伝えられている。文政9年(1826年)には真言宗仁和寺の末となった。
明治2年(1869年)の神仏分離により、山王宮の称は廃され、日枝神社に改称された。昭和10年(1935年)には豪雨による裏山崩壊で本殿が倒壊したが、昭和13年(1938年)に現在の本殿が再建されている。昭和27年(1952年)7月1日には、岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定を受けた。
境内の御神木である日枝神社の大スギは、推定樹齢約1000年、目通り約7m、高さ約39mを測り、県指定天然記念物となっている。また、寛延元年(1748年)建立の旧本殿に由来する富士社社殿附棟札や、安永8年(1779年)建立とされる拝殿附棟札はいずれも高山市指定文化財で、往時の社殿様式を今に伝えている。
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神社詳細
公式URL
摂末社・境内社
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文化財
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建築
本殿 流造
神紋
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出典
公式サイト
https://hiejinja.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9E%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%B8%82)
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/
https://hiejinja.com/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9E%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%AB%98%E5%B1%B1%E5%B8%82)
岐阜県神社庁
https://www.gifu-jinjacho.jp/
