有名度
大関戸隠神社 奥社
とがくしじんじゃ おくしゃ
長野県長野市戸隠3690
奥社院坊跡
更新日:2026年10月7日
修験者たちの生活拠点だった院坊
随神門をくぐった先の参道沿いには、かつて戸隠山で修行した修験者たちが生活していた「院坊」の跡が残されています。現在、建物は残っていませんが、参道の左側には院坊の敷地を区画していた石垣が続いています。院坊が建っていた場所には草木が生い茂り、一見しただけでは、かつてここに多くの修験者が暮らしていたとは想像できないほど自然に溶け込んでいます。見落としやすい場所ですので、杉並木を歩く際には足元の石垣にも注目してみてください。

これらの院坊は、現在の宿坊のように参詣者を宿泊させることを主な目的とした施設ではなく、奥院に仕える修験者や衆徒たちが日常生活を送るための坊舎でした。
昭和46年(1971)に行われた戸隠総合学術調査では院坊跡の発掘調査も行われ、参道南側に並んでいた11院の位置や名称が明らかになっています。奥社側から観法院、金輪院、常楽院、妙光院、妙観院、成就院、真乗院、安住院、常泉院、仏性院、妙智院が並んでいました。
院坊跡からは建物の礎石や囲炉裏の跡、通貨、土師器などが発見されており、かつてここで修験者たちが実際に生活していたことを現在に伝えています。発掘調査では江戸時代の陶磁器などの生活用品も数多く出土しています。
こうした奥社周辺の院坊跡を含む信仰遺跡は、昭和54年(1979)3月22日に「戸隠神社信仰遺跡」として長野県の史跡に指定されました。奥社・中社・宝光社周辺に残る遺構は、戸隠山における長い信仰の歴史を伝える貴重な文化遺産となっています。

大きな転換点となったのが明治時代の神仏分離です。戸隠山顕光寺は戸隠神社となり、奥社境内にあった院坊は姿を消しました。衆徒たちは還俗して中社や宝光社の里坊を生活の拠点とし、その流れを受け継いだ宿坊が現在も戸隠に残されています。
現在の奥社参道は巨大な杉並木で知られていますが、その足元に残る石垣や礎石は、この場所がかつて修験者たちの生活の場でもあったことを物語っています。杉並木とともに、戸隠が山岳修験の一大霊場として栄えた時代を現在に伝える貴重な遺構です。
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