随神門 | 戸隠神社 奥社 - 神社ファン

有名度

大関

戸隠神社 奥社

とがくしじんじゃ おくしゃ

長野県長野市戸隠3690

随神門

更新日:2025年7月5日

歴史を感じさせる随神門

奥社および九頭龍社に続く参道のちょうど中間地点には、随神門が建っています。
随身門 正面
1710年に建立されたと伝わる、戸隠神社の中で最古の建造物です。正面の本柱は4本、後ろの控柱は8本ある三間一戸の八脚門で、屋根の形状は伝統的な入母屋造りで建てられています。一番の特徴は茅葺き屋根でしょう。大自然の中、苔むしている茅葺き屋根は大変趣があります。
随身門 裏側
随神門は、神域に邪気や邪悪なものが侵入するのを防ぐ門です。左右には警護を司る随身像が安置されていますので、門を通る際はぜひこちらの像にも注目してみてください。
随身門 扁額
向かって左側の像は「櫛石窓神(くしいわまどのかみ)」、右側の像は「豊石窓神(とよいわまどのかみ)」と呼ばれています。
天孫降臨の際、奥社の天手力雄命、中社の天八意思兼命、火之御子社の天鈿女命が迩々芸ノ命に同行したことはよく知られていますが、この櫛石窓神、豊石窓神も一緒に従ってきた神様なのだそうです。
古事記では、櫛石窓神と豊石窓神は同神の別名という扱いですが、古語拾遺や延喜式では別々の神として表現されています。どちらも門を守護する神です。かつては京都の宮中でも、四方の門を守護していたと言われています。
随身門 随身像

神仏習合時代のなごりである「仁王像」

戸隠神社は、神仏習合時代には顕光寺として全国にその名を知られており、随神門も「仁王門」と呼ばれていました。門には仁王像が安置されていましたが、明治時代の神仏分離によって、長野県長野市にある寛慶寺の本堂に移されたそうです。寛慶寺は、顕光寺や善光寺の別当職を務めた栗田氏によって1496年に開基された、戸隠山とも深い関係があるお寺です。
寛慶寺TTTNIS (Wikipedia パブリック・ドメイン)
仁王像は、阿形(あぎょう)と吽形(うんぎょう)ともに一本の檜から造られています。高さは約280センチ、髪を頭上でまとめた単髻で表現されています。目は彫刻で表され、肉身には朱彩が施されているのが特徴です。像には明応七年(1498年)と銘記されており、また、1707年と1774年に修理を行った記録が残されています。1969年には長野市の指定有形文化財に指定されました。当時の戸隠山を知る上で、仁王像は外すことのできない大変貴重な遺物と言えるでしょう。

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